うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第12回: 論理でも感情でもない「何か」

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.07.02

 私は馬鹿だから、論理的に考えることができない。そうかといって、感情的だというわけでもない。私はこれまで、いかに感覚的に生きてきたかということがつい先頃、唐突にわかった。それも感覚的に、である。

 わかりきった嘘をついた者を罰するのに、なぜ証拠が必要なのかと私は思う。その言葉の端々から、誠意はおろか、不誠実が滲み出ているではないか。証拠というのは、冤罪を免れるために提示するものであって、明らかな罪人を庇うために用意されたものではないはずだ。と、私は短絡的な思考回路で、そう思う。

 私には政治がわからない。私には経済もわからない。私には歴史もわからない。私にはこの国がわからない。私には現在のニュースさえわからない。
 ただ感覚的に、その説がまっとうそうだ、という判断のもと、私の脳味噌は8割型その説を信頼する。理系はおろか、文系ですらない。私はいったい何なのだろう。

 それでも日常を生きていると、否応なくそれらのこと(つまり、「わからないこと」)が障害となって、私の自由を奪いにくる。だから私は抵抗する。論理でも感情でもない「何か」を拠り所にして。

「それでは駄目だ」と誰かが言う。

「そんなの馬鹿だ」と誰かが言う。

 論理的ではない庶民に、発言権はないというのだろうか。エビデンスを用いたり、分かり易く相手に理由を説くことのできない庶民は、大人しくしていろということだろうか。
 では一体、誰が庶民になれるのか。

 某新聞に寄せられた、とある投書がある。それをここに引用したい。

 「逃げ」
 宮城県名取市 森田 真由(13

 逃げて怒られるのは
 人間ぐらい
 ほかの生き物たちは
 本能で逃げないと
 生きていけないのに
 どうして人は

 「逃げてはいけない」

 なんて答えに
 たどりついたのだろう

 本能で危機を察知し、抵抗することは、動物であれば当たり前の反応だ。

 やたらとロジカルという言葉が叫ばれるようになった昨今。私にはフィジカルを差し置いて、その言葉が先行していることに、言い知れぬ気持ち悪さを覚える。

 肉体あっての精神、精神あっての論理、と、学もない私は思うのである。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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