うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第10回: 姉と賄賂

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.06.28

 私は物心ついた頃から変に気を回す子供であった。母の知り合いなどが家を訪ねてくると、頼まれもしないのに紅茶を淹れ、茶菓子などを添えて出したし、父や母の顔色を窺っては、それぞれに求められているであろう子供らしいと思われる反応を示した。あまり芝居がかっていると見透かされかねないので、そのことも考慮しつつ、ときには我儘ととれる言動も抜かりなく行った。
 もちろんそこに下心がなかったと言えば嘘になるが、「褒められたい」「玩具付きお菓子を買ってほしい」といった類の、子供なら誰しもあって当たり前の欲求であった。

 そんなある日の休日。家族で少し遠出することになった。父と母と姉と私の四人で、ドライブも兼ねた日帰り旅行である。
 行き先はどこなのか、何をして遊んだのか、そうした詳細はまったくもって覚えていない。私にはそのことよりも、出掛け前の些細なスクランブルのほうが記憶に残っていつまでも離れない。
 
 当時、私の姉は本当に手の焼ける子供であった。こうした家族での日帰り旅行などになると、多くの場合駄々をこねた。外出寸前になって何かちょっとした自分の気に入らぬことがあると、「あたし、行かない」といったが最後、顔を吽形うんぎょうのようにしかめ、ソファーに横になったまま仏像のように動かなくなるのである。
 急に「行かない」と言い出した姉に腹を立てた気の短い父が怒鳴り散らしても、それを見かねた母が陰でそっとフォローしながら、「お願いだから機嫌直して」と懇願しても、頑固な姉は吽形の表情を固めたまま、ますます頑なになって動かなくなるのである。困ったやつである。

 こうしたとき、私は決まってブルーになった。せっかくの一家団欒のとき。それが例え仮初であったとしても、家族との思い出を「形として残したい父」と、母が行動を共にする機会というのは、こんなときでもないと訪れないのだ。日頃の父と母のあまり仲がいいとは言えない微妙なムードだって、いくら言動で示さなくたって、子供は敏感に気付くものなのだ。嘘はつかなくてもつけるように、言わずとも伝わってしまうことは、生きていると無数にある。

 階下の駐車場で既にエンジンをかけて待っている父親。「仕方ないから三人で行くよ…」と言い、最後の支度に取り掛かる母親。
 三人での日帰り旅行など、気が気ではない。どれだけ気を回さなければいけないのか。想像するだけで気が滅入る。チャンスは今しかない。

 ところで姉は百円が好きである。どういうわけか、私がガシャポンを回すときなどに、私が財布から百円を取り出すや否や、横で見ていた姉は「あっ、百円!」と言うなり、一度その百円を私の手から俊敏に奪い取り、ニヤつくのである。別にそのまま盗って自分のものにしようというわけではないようだが、(実際、「返して」と言えば、渋々ながらも返してくれた)百円を見るたびに、条件反射といってもよいくらいに、そのような行動に出た。ようするに百円玉が大好きなのである。

 そのことが頭の片隅にあった私は、ひとつの賭けに出た。「姉に百円を渡して、やっぱり出掛けると改心してもらおう」と。だがここで一つの大きな問題があることに気付かない私ではない。それは「尊厳」の問題である。
 子供と言えど、姉とて馬鹿ではない。弟からストレートに「はい、百円あげるから付いてきて」などと言ってしまえば、姉はその尊厳も威厳も傷付けられたと感じ、あるいは一生立ち直ることのできない傷として心に刻み込まれてしまうかもしれない。それは弟としても非常に心苦しいし、なにより私のプライドが許さない。刻一刻と迫る時間。もはやこれまでかと思われたそのとき、私の脳裏に閃光が走った。

 「さすがにこの雰囲気で三人で行くの気まずいし…。なによりお姉ちゃんいないとつまんない…。お願いやけん付いてきて…」

 私は売れっ子子役さながら、本当に当惑したような表情を浮かべ、なおかつ芝居がかっていない台詞を口からスラスラと発話し、その流れのままに一流演技派俳優のようなごく自然な所作でもって百円玉を姉の手に滑り込ませた。これら一連の動作は、スピード感・演出力・脚本力どれをとっても神懸っていた。私は「これは成功した」と確信した。

 姉の尊厳を傷つけず、威厳も保った。そして家族の平和を守った。私の仕事は終わった。

 あれから姉はあの百円玉を、何に、どんな思いで使ったのだろうか。それともそれは、小銭入れの中にある、無数の名も無き百円玉の中に紛れて、なかったことにされて使われていったのだろうか。
 そしてこの思い出は、いまでも姉の認識できる記憶の中に残されているだろうか。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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