イシュマエル・ノヴォーク

カウボーイ・イン・ニューヨーク

- 第4夜 -

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.06.27

 ラフ・ベルは農作業用の真っ赤なトラックを運転してテキサス州はエルパソからニューヨーク、サウス・ブロンクス地区にやってきた。ラフはトラックの中で真っ黒い上下に着替え、靴を探したが、見つからないので車輪がついたブーツのままにした。

 ラフ・ベル。本名、ラフミール・マシュベルはサウス・ブロンクス地区で生まれ、一三歳で家を出た。家を出た理由は幾つか考えられるが、そのうちで最もらしいものは、父親は高名なラビだったので、ユダヤ的な教育にうんざりしていたというもの。ラフは無賃乗車を繰り返しながらエルパソに辿り着いた。西部開拓時代は前世紀の終わりには既に下火になっていたし、寂れた土地でもあったが満足だった。ラフは教育や宗教といったものを必要としないタイプの男で、勤勉さよりも、ぐうたら過ごす、あるいはウィッピングをして過ごしている。彼の鞭さばきはエルパソでも指折りで、音速を超えた鞭がしなると、すさまじい音が発生した。このラフが最も親しい友人はデニス・バーリングというドイツ系の男だ。ラフはユダヤ人だが、信仰心はおろか、ラフミールという名前すら忘れてしまっているので、バーリングの人種について、あれこれ考えたりはしない。そもそも、バーリングは初期開拓民の末裔なので、あの伍長とは何一つ関係ない。曲撃ちと早撃ちの名人であるバーリングとウィッピングの名人、ラフの二人がホンキートンクに行けばチップが飛び交うし、足りなければ農場で日銭を稼げばいい。

 先日、バーリングと二人で馬に乗り、アリゾナ州のフェニックスまでロングドライブした夜、バーリングは子どもができたことと、その子どもにエミールと名付け、将来はレンジャーにするつもりだと語った。ラフはペミカンを食べながらその話を聞いた。

 トラックの中で身支度を終えたラフは、唯一の贅沢品であるステットソンのフェルト帽をかぶり、牛追い鞭を腰につけるとトラックから出た。道路で遊んでいた子どもたちが「カウボーイ」と叫ぶのが聞こえると、ラフはつばを人差し指で持ち上げ、笑みを浮かべた。ラフは歩き出し、シナゴーグに入った。
 シナゴーグは人で溢れていた。皆が皆、真っ黒い恰好。神妙な面持ち、しかめっ面。カウボーイハットにカウボーイブーツなど一人もいない。ラフを見た全ての人々が「誰だ?」とささやきあっている。ラフは気にせず、ずんずん進み、僅かにラフに似た年長の男を見つけると「よぅ」と言った。年長の男はラフのことがわからないのか、しげしげと顔を覗き込んだ。
「忘れたのかい? あんたの弟だよ」
 テキサス訛りの英語は外国語のように耳に響いたのだろうが、やがてラフミールのことを思い出した年長の男がイディッシュ語でまくし立てた。かつては当たり前のように使っていたイディッシュ語だったが、今のラフにはサッパリわからなかった。
「そう怒らないでくれよ。新聞で知ったんだ。訃報欄に親父の名前が載っていてさ。もっとも、その新聞はおれが買ったものじゃなくて、ズスマンが買ったんだけどな。久しぶりのイディッシュ語だと思って読んだら、まるでわからんときたが、さすがに親父の名前はわかったよ」
 年長の男がラフを突き飛ばすが、毎日、ウィッピングと乗馬、合間に農作業をしているラフの足は地上に根を張ったように動かない。ラフが「親父に挨拶したら、すぐ帰る」

 白い布にくるまれた父親の前に立った時、ラフは何も感じなかった。思い出と呼べるようなものは窮屈さだけだったから。ラフはカウボーイハットを一撫ですると、「それじゃあ」と言って、さっさと外に出た。
 外に出ると騎馬警官が見えた。近付いたラフが警官に向かって「触っていいかい?」
 警官がうなずくと、ラフは馬の首筋をゆっくり撫でた。馬は毎日、アスファルトの上を歩かされてうんざりしているといった目をしている。警官が「どこから来たんだ?」
「エルパソ」
「随分と遠くからだな。ニューヨークには観光かい?」
 ラフは馬の首筋を撫でながら「ロングドライブだよ」
「来たばかりか?」
「あぁ……でも、もう帰るよ」
 馬上の警官が曖昧な相槌を打つとラフは馬の首筋を撫でながら「達者でな。お互い」とささやき、農作業用トラック目指して歩き出した。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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