杜 昌彦

GONZO

第1話: 彼の噂をするときわたしたちが浮かべる表情

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.06.25

ひめかわみことの噂をするときわたしたちが浮かべる表情は決まって揶揄であり蔑みだったあたかも猥褻な失敗でも見聞きしたかのように目を細め唇を歪めて笑うのである口にするのも穢らわしいにもかかわらず口にせずにはいられぬとでもいった態度だ正しい側のわたしたちは逸脱を誹って安堵する石をぶつける敵が必要なのだぶつけてもどこからも文句の出ぬ相手が姫川尊は本人のあずかり知らぬところで便利に使い棄てられた
 新型感染症で世界が一変した年だった休校のせいもあり姫川尊が登校したのはわずかひと月に満たない中学で眉をひそめられた風変わりな言動は控えていたようでその間とりわけ何をしたということもなかったそれでも生クリームで飾り立てたケーキの上の毒蜘蛛のように人目を惹いた異質な気配はそこだけが歪んでいるかのようだった虐められる側にも問題があるなどとはいいたくないしかし姫川尊にかぎってはそう評せられても無理からぬところがあった幼少時からだれに対しても攻撃的でひとを寄せつけず人格的な偏りは弁護の余地がなかった仲間に入れてやろうとの気遣いはあの蔑みに満ちた笑みと強烈な皮肉でもって無残にも踏みにじられた施しを与えようなどと試みた愚かさを同級生たちは惨めな想いで悔やんだ
 校内ばかりか町中で彼は有名だった森林公園のような広大な敷地をとりまく刑務所めいた塀や衛星写真でしか目撃されない屋敷が広く知られる以上にその子息の奇行は悪名高かったジョギングする男や犬を散歩させる女は彼を町内で見かけるたびにコースを変えた放課後に駄菓子屋で買い食いする子らは石を投げたり囃し立てたりして逃げた不幸にして立ち寄られた店の従業員は営業用の笑みをこわばらせその悪名高い子どもが年齢不相応なカードで支払いをして去るのを恐々として待った中学時代にはそれでも彼と親しくなろうとする少女が年にひとりかふたりは現れた友人たちの制止を聞き入れなかった結果鋭い言葉で傷つけられだれにも相談できずに物陰で泣く彼女たちの姿をわたしも幾度か目にしている高校に進学する頃にはすっかり噂が広まり彼に近づく者はなかった
 彼は尊大だったただもうひたすらに尊大だった先祖代々の資産家の一族に生まれたからといってそれだけを根拠になにゆえそこまで他人を見下させるのかとだれもが畏れを抱くまでに尊大だった尊大が受肉して現世に降り立ち卑しさを思い知らして人の世を惨めにすべしと狂った使命を心に決めたかのようだった己の美しい唇から吐き出される言葉がひとびとをとりわけ教師や近隣住民のような大人たちを傷つけ動揺させることに彼は明らかに快感を覚えていた言葉や態度によって他人を操るすべを本能的に知っていたのだ頭の回転も速かった知能指数が数百あるとも幼児期に姫川家お抱えの物理学者と相対性理論の限界について議論したとも噂された学校に通う理由などなかったのだ尊大さと美貌を分かちがたい概念に思わす力が彼にはあったわたしたちは屈服せざるを得なかった呼吸をし汗をかく生身の少年にしては姫川尊は美しすぎたそして彼を知るだれもが口にせぬまでも同じように感じていたその面立ちに男子用のブレザーは似合わないと不自然な男装をしているかに見えたのである
 人格がまともであったなら彼は愛されたろうかそうは思わない姫川尊はあまりにも異形だった度を超していた彼の前に居合わせたひとびとはだれもが卑しく汚い虫のように思わされたそして事実彼は他人をそのように扱った彼が教室に現れると穏やかな水面に小石が投じられたかのように陰口が囁かれた姿を見せなくなってからはなおさらだった実体を持たぬほうがむしろ存在感を増した空席の影響力は同級生らを呪いのように絡めとった彼のことが囁かれぬ日はなかったそうであればおもしろいとの冗談が火のないところに煙を立て悪意ある憶測と結びついて針小棒大尾ひれをつけて広まったいわく放課後の体育館裏でだれそれに言い寄ったいわく上級生数名に教師の目の届かぬ便所へ連れ込まれたいわく誘ったのは彼であるいわく繁華街のホテルへ中年男性と入るのを目撃された……生徒に口々に尋ねられても教師らは言葉を濁し退学とも休学とも長期のずる休みとも説明しなかった噂だけが残された
 やがて目撃談が広まった舞台はアーケード商店街の画材屋シャープペンの芯を買いに訪れた生徒が覚えのある顔を絵の具売場に見たという奇態な身なりですぐにはわからなかった姫川尊はフリルやヒダ飾りを盛大にあしらったドレスを着ていた踵の高いブーツから網タイツ髪飾りに至るまで全身が黒ずくめだったなぜ画材屋かつくり話ならもっとふさわしい場所がありそうなものだ捉えどころのない舞台設定にかえって真実味があった中学時代の同級生らが信憑性を補強した姫川尊が当時は美術部に在籍していた旨を彼らは触れまわった美術とか画材といった単語がいかがわしい概念のように語られるまで時間を要さなかった何のかかわりもない美術部員が冷やかされもした図書館で大判の美術書を眺めていたとか喫茶店で巨大なパフェを食していたなどの情報が流布した隣のクラスのだれそれが放課後に見た部活の先輩が夜更けの予備校帰りに見た……黒ドレスの女装男子が気ままに自由を謳歌しているかのように教室のわたしたちには思えた身勝手だ許されぬ不登校児の動向はいかにも社会の敵のように憎々しげに語られた
 一連の事件から数十年が過ぎてなお不思議に思うあの頃のわたしたちはどうして彼にそこまで執着したのかそれこそ一挙手一投足に大騒ぎしたそのことにだれひとり疑問を抱かなかったわたし自身そのひとりだったのを否定しない所詮は他人ではないか生まれ育った地域が近かったために同じ校舎に詰め込まれただけだ卒業すれば人生はそれぞれの方向へ散り二度と相まみえることはない国じゅうが大騒ぎしたあの事件さえなければありふれた中年男女の集まる同窓会で決して現れることのない同級生が話題にのぼることもなかっただれも認めはしなかったけれどつまりわたしたちは憧れていたのだ規則や常識に頓着せぬふるまいに美貌や歪んだ人格の背後に何が隠されていようとも知りようはないわたしたちが適応を強いられる日常に抗う不遜さ理解できたのはそれだけだったそしてそれはわたしたちが激しく憎みながらも渇望するものだった自分らしくあることほかのだれでもない自分自身であることそれは絆の名のもとに黙らされる社会でわたしたちがいまだ手にせざる貴重品ださながら貴族の財産を強奪する暴徒のようにわたしたちはその不平等を憎み彼の尊厳を公然と傷つけたそれを絶対の正義と信じ込んで
 老いた親と傷つきやすい子らを抱え愛想笑いの仮面を貼りつけて生活に汲々とするに至って初めて永遠に正しい側にはいられないとわたしたちは悟るいつだって彼の側に転落する畏れはあるのだ病気や事故によって時流の変化や予期せぬ災難によって何より避けようのない老いによってそうなったときわたしたちは彼のように誇り高く尊大な笑みを浮かべていられるだろうか?
 理不尽な鋳型に押し込められそうになるときわたしはいまも思い出すゴシック調の黒ドレスをまとった彼の姿を彼と行動を共にしていたとされる中年の肥った殺し屋を


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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