うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第8回: 母は今日もドアノブを拭く

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.06.19

 深夜一時半。大抵この時間になると、母は長いうたた寝から目を覚まし、風呂の追い焚きのボタンを押す。そして姉の部屋をノックし、なにかひとことふたこと言葉を交わす。
 そして消灯された私の部屋の前に数秒立ち、それから一つしか施錠されていない玄関扉を厳重にロックする。ここはオートロックマンションの五階だ。それでもドアチェーンは欠かさない。

 そしてしばらくすると、「かちゃかちゃかちゃ…」と、私の部屋の外側のドアノブが微かに音を立てる。
 これは世界的パンデミックが流行し出し、メディアが危機を煽った結果、母の思考から導き出された自衛策だ。そう、除菌シートで夜毎、各部屋のドアノブを拭いて回るのだ。

 母は去年から今年にかけて大病を患った。癌は切除したものの、部位が部位だけに、転移の恐れもあるため化学療法での治療も行われた。
 「免疫力が低下しているから」
 実際、白血球の数値も健常者と比べると低いのだという。
 それもあってか、母は過剰にコロナを恐れている。

 母を見ているとたまに思う。「生きていて辛くないのだろうか」と。
 神様を信心する母にとって、現世で幸せを得ることより、彼岸、そして来世での幸福のほうが大切だそうだ。

 私はそんな母を不憫に思う。どう見たって母は苦労人だ。金銭面だけは恵まれているが、(そして私もまた今はまだその恩恵に預かれているわけだが)私から見て、父のこと、祖父のこと、伯父のこと、そしてこの出来損ないの非情な息子のこと。

 父とはもう私が高校生のときに離婚しており、その後は養育費のことで裁判沙汰になったとも数年前はじめて聞かされた。この父親は、私が今思い返しても心根の捻くれた人だった。とかく感情の読めない人で、扱いづらい人だった。
 祖父は祖父で我儘な人で、母が父と離婚してからというもの、ほぼ毎日のように家に呼びつけ、母は家政婦のように通い詰め、掃除洗濯食事の用意まで行っていた。
 少しでも連絡が取れないと、祖父は癇癪を起こした。母は愚痴をこぼしながらも、祖父が入院し、亡くなるまで付き添っていた。
 母の兄もまた困った人で、もともと祖父と伯父は不仲であり、祖父が金を工面する以外の面倒は見ない、と半ば勘当された人であった。
 精神面に難があり、パチンコ依存症で、もう永らく保養院に入院しており、いまでも時々あれが欲しいこれが欲しいと電話がかかってきては、苛つきながらも母はそれに応対している。

 そして最後に問題児である「私」というわけだ。この詳細は割愛させていただこう。なにせわざわざ人に憎まれたくはないのでね。

 「悪人は滅ぶ、神様が裁いてくださる、見過ごすわけがない」と、最後には哀願するように語気弱々しく語るが、神とやらはこんな不憫な母さえも、現世で救う気がないのだろうか。
 存在の定かでない「彼岸」や「来世」に、本当に「勘定」してくれるのだろうか。

 人が、生きることに執着するのはなぜだろう。
 もしも死に痛みが伴わないのであれば、これほど恐れることもないのだろうか。
 それとも、死ぬことによって、自分の存在が「在る」ことを認識できなくなる恐怖心がそうさせるのだろうか。

 母は優しい。考え方も柔軟なほうだ。
 それなのになぜ、私は彼女のことが好きになれないのだろうか。一刻も早く、彼女から離れたいと思うのだろうか。

 日に日に老いていく。一度すべて抜け落ちた髪。再び生えてきた髪の半数以上は白髪が目立つ。術後から痩せた手首の細さも、もう元の太さに戻ることもないのだろう。
 最近は、ばね指というやつにも悩まされている。右手の指に力が入らず、洗濯バサミも開けないのだという。

 「家族を見捨てるのか」

 私は目を伏せることしかできない。

 「あんた、居候みたいやね」

 「いつも黙り込んでから」

 「昔はそんな子じゃなかった」

 だからこそ、一刻も早く、大人になりたい。一人前、いや、早く半人前になって、自分なりの親孝行がしたい。

 それをできるようになるためには、この甘えられる環境から、一旦身を引き剥がす以外に方法がないように思える。

 母が望む形の孝行は、私にとって苦しい。「そばにいること」だけが親孝行ではないと、母にはわかってもらえるだろうか。それともこれはやはり、家族を疎ましいと思う私のエゴだろうか。

 朝、プレゼントを渡された。今日は私の生まれた日なのだ。

 「はい、中身はT シャツとタオル」

 引っ越しを考えるようになって、少しずつ過去に母からもらったものは捨てている。もう母のセンスと私のセンスは違う。

 「ありがとう」

 三浦じゅんの「親孝行はプレイなのだ」という言葉を胸のうちで反芻する。
 嬉しそうな表情を照れくさそうに見せた母。私が素直に感謝を述べるとは思っていなかったのだろう。
 だけど私がそのT シャツを着ることはない。
 そしてT シャツを着ない私を見るたびに母は傷つくだろう。

 ずっとこんな関係。目に見えない部分で、互いに消耗していく。そんなことを繰り返している気がする。
 もう誰かに心を煩わされたくない。家族が嫌とか、もちろんそれもあるけど、それだけじゃない。
 一人になりたい。煩わしく思うのは、家族に限ったことじゃないのだ。

 寂しいとか、孤独を感じるとかいうのは、人と一緒にいるから発生するものなんじゃないだろうか。

 もちろん若いうちだからそんなことが言えるのかもしれない。
 けど、私はそういうものを見聞きしたり押し付けられたりしない限り、感じない。
 孤独が寂しいとは思わなくなった。

 みんな他人。そう思うことで、私は私の幸せを実感する。いままで、強いられていたから苦しかったのだと。
 欲しくもない玩具を、みんなが持ってるからという理由で欲するのと同じ。

 本来の私は、それを欲していないのだ。
 そしてそれを「悲しいことだ」と言ってくる世間は、私が望むスタンダードではない。

 親孝行プレイなんか、中途半端にやるもんじゃないのかもしれない。T シャツを着てこそ、それは完成するのだろう。

 ならばそうしよう。徹底的に。彼女の束縛から逃れるために。T シャツを着る。彼女と暮らしている間は。だが、一人になれば、私はそれを捨てるだろう。可燃ゴミの袋に丸めて。
 残酷だと罵りたければ罵ればいい。

 孤独に居場所を見出したものは、世間的に歓迎されない「残酷さ」を持ち合わせたものなのかもしれない。

 そうかといって心が痛まないわけ、ないじゃないか。

昔見た映画で学んだこと。「親子とは、痛みを伴わなければ、前進も和解もあり得ない」
 あの涙から何年経っただろうか。私は未だに乳のみ子だ。

 もういい加減、傷つくことと傷つけることの痛みを、想像ではなく、実体のあるものとして受け止めるべきときが来ている。何年も前から。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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