D.I.Y.出版日誌

連載第258回: ぜんぶ凹

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.19Fri

ぜんぶ凹

発達障害について講演する活動家の記事を読んだ。サヴァンを持っている(生産性がある)から発達障害でも社会に有用、名誉人類として認められる、みたいな筋書き。メディアに取り上げられる典型的なストーリーだった。「発達の凹凸を活かして」との言葉に、上から目線の押しつけを感じる。けっきょく自慢じゃないですか。感動的に語られてもねぇ。医師(という権威者)に承認されて涙を流すくだりがこの手の話には必ずある。わたしはわらにもすがる思いで相談した三人の医者から「病気ではなく甘え。性格が異常。一生治らない」と実際にそのような言葉で告げられた。たいていの当事者はこちら側だ。彼らは例外なく何かで成功した有能なひとたちだ。あたかも発達障害者のすべてがサヴァンを持ち合わせているかのように、成功譚だけが判を押したように語られるのはよくない。たまたまうまくやれた人生を普遍化されると、わたしのように何をやらせてもだめな「ぜんぶ凹」は疎外される。エジソンやアインシュタインも発達障害だったみたいなことをいうのはやめてほしい。医療や福祉からこぼれ落ちただけではまだ足りないのかと思わされる。発達障害とサヴァンがセットで語られねばならないのだとしたら、わたしは単純に知的障害を名乗るべきかもしれないな。発達障害といえば「雑誌付録のバッグを使うなんてありえない、といわれたのでふりむいたら逃げられた」というツイートをみた。たぶんトゥレットやADHDのような衝動を抑えられない発作だ。バッグを見たことが引き金となってどこかで読んだ悪態が再生されたのだろう。こうした恥ずべき異常行動はまるで他人事ではないと同時にありふれている。大勢とかかわる仕事をしているといびつな発達特性にしょっちゅう出くわす。一般的に非常識とみなされる言動をするひとの多くはわたしと同様、なんらかの障害を抱えていそうに思える。彼らは自分でもなぜそうしてしまうのか、どうすればよくなるのかわからないまま、咎められるたびに相手からも問題からも逃げてやりすごしている。逆に仕事がめっちゃできるひとにもまた別の生きづらさがありそうに思える。めっちゃ有能にバリバリ働くことが「自分自身であること」の条件になっていたりして気の毒だなと思う。能力を自分に証明することはたしかに大切だし、まして生活や今後のキャリアがかかっていればやめろともいえない。わたしの価値観はつきつめれば小説にしかないので、たとえ自分にがっかりするような惨めで汚い生き方をしてであっても、どうにか死なずに生き延びて、十年後だろうが五十年後だろうが、つづきを書ければ/読めればそれでいいと思うタチだけれど、幸か不幸か社会に有能さを認められたひとたちは、抑圧の場で能力を認められることこそが自分自身であることの証明となるので、わたしのように自分自身であろうとして抑圧から逃げる、ということができない。他人の人生や生活には口出しのしようがない。軌道上の施設をひとりで保守する宇宙飛行士さながらの孤独を思うばかりだ。若いころに何人かの編集者と話して、書くことと生活することはわたしの場合、相反することだと学んだ。その思いは日に日に強まっている。人気SF作家がペドフィリアを擁護する連続ツイートを見てしまった。自由な権利の象徴だったSFはもはや奪う側、踏みにじる側の文芸様式になった。さもいいこといってる風の、良識派ぶった高尚な理屈がならべられていて、以前お世話になった先生がそのツイートをほめていた。加害者側に立つひとたちの無自覚さ。こちら側にとってどれだけ怖ろしいことか、彼らには知ったことではないのだ。アシッドアタックが擁護され、抗おうとした被害者が毀損されるこの国では、企業による出版に何も期待できない。人間としての最低限の想像力を持ち合わせないひとたちの言葉が、大きな会社によって出版され、いいことのように受け入れられていく。ペドフィリアがペドフィリアであることの「権利」を、ご立派な知識人たちは高らかに謳いあげる。ペドフィリアがペドフィリアであるために、どれだけ多くの人生が、どれだけ致命的に惨めになるか、加害者らを擁護するためには知ったことではないのだろう。目の前のひとびとの苦しみが目に入らないのだ。そんなこんなで出版社とはかかわらず、D.I.Y.で極小規模のサミズダートをしているわけだけれど、個人と大きな出版社とのちがいはどこにあるのか。突き詰めれば校正校閲だけだ。大きな出版社でも金をかけてない本は誤字だらけ。使える金の差はたしかにあらわれるが、それだけだ。コンテンツ自体においてはね。流通には法人の看板が必要になる。話題になった自主制作本が雑誌(定期刊行物コード)ではなく書籍(ISBN)の流通形態を選んだのはそれが理由だと思う。人や物の物理的な移動を前提とするかどうかで印刷物とウェブとの文化や習慣が隔てられるのかもしれない。本とは言葉やそれに類するものをパッケージし可搬性を持たせたものであり、その本質は体験を売るサービスだ。これを前提に何がやれるかをこの十年、考えている。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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