D.I.Y.出版日誌

連載第255回: 抗う手法

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.12Fri

抗う手法

拉致被害者の家族が政治カルトに騙され利用されている話を読んだ。犯罪被害者やその家族は別の暴力につけ入られがちだ、すがる相手がほかにいないから。騙すやつらは絶好のタイミングで現れ、いかにも頼りがいがあるかのようにふるまう。親の関心はどうしても「いなくなった子ども」ばかりに向かい、「そこにいる子ども」はきょうだいほどには顧みられなくなる。どれだけまっとうな家庭であったとしても、あるいは逆にそうだからこそ、それは避けられない。家の床のどまんなかに無視できない穴があいたようなものだ。その穴はそこで暮らさざるを得ない家族の心に感染して居座り、じわじわと広がりつづける。子どもは言葉にできない空洞を抱えて育ち、狡猾な暴力につけ込まれやすくなる。国家による犯罪被害という弱みにつけ入るカルトがわたしには許せない。かといってどうすればいいのかわからない。犯罪組織や国家のような大きな力の前ではひとりひとりはあまりに無力すぎる。はっきりいえるのは、弱い立場につけ入る連中の肩を持って、もっともらしい嘘を喧伝してまわるような真似だけはしたくないということだ。洗脳されたひとたちの言葉をそのまま垂れ流すような真似も決してするものか。市場の需要がないのを知りながら、「淘汰」されるだけの表現だと知りながら、おかしいことはおかしい、という気持を書きつづけている。どうしてこの国は「憲法から基本的人権を削除せよ」などと堂々と主張するカルトにここまで侵蝕されたのだろう。「自己責任」などという言葉が流行した二十年前から明確かつ急速におかしくなった。当時、小学校の先生とつきあっていた。冷静に考えればおかしいとすぐにわかりそうなカルトが、巧妙に入り込んで教員たちを洗脳する過程を目の当たりにした。歴史は書き換えられた。子どもたちは「飼い慣ら」された。作家になろうとしていたわたしはそうしたことへの怒りを小説に書いた。おかげでプロにはなれなかった。だれもカルトを止めなかった。むしろだれもが万歳三唱で迎え入れ、大いに持て囃した。さながらISILがさも正義の味方のように偽って占拠した街のように。連中はいまでは政権を握り、気の毒な犯罪被害者たちを騙している。インターネットには支持者がいっぱいだ。床蝨トコジラミのわいた布マスクを仏壇に供えて最高ですと伏し拝んでいる。それでだれが救われるというのか。わたしは加担しない。「淘汰され笑い物にされ」ようがどうだろうが知ったことか。D.I.Y.のサミズダートを選んだのはそれが理由だ。権力に媚びればさぞかし金になるのだろう。しかしそんな真似をしてまで書く意味があるか?


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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