杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第253回: 世界にいくつもの花

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.10Wed

世界にいくつもの花

twitterを再開して五ヶ月になる。わたしに近い考え方が増えたのは膚に感じている。しかし所詮はいつもの全体主義的な「空気」でしかないだろう、と醒めた気分で眺めている。一日に数件のクレーム対応をしている。多くのお客様はその方なりの筋道が通っていて、話せばご理解いただける。ごくまれに弱い相手に人格否定をして憂さ晴らしをしたいだけの方もいらっしゃる。そうしたお客様が人格否定の言葉として「おまえはアベみたいなやつだ」と仰ったとき、潮目の変化を感じた。流れの向きが変わった、ただそれだけのことだ。ほんとうにわたしの考え方が多数派になったのであれば、共感できる小説がもっと出版されているはずだ。実際には疎外されつづけている。職場のオペレータが「twitterは政治的な発言をすれば『いいね』がいっぱいつくから」といっていて、なるほどと思った。結局そういうことでしかないのだろう。そのひとは猫の画像をツイートするアカウントだけをフォローしているといっていた。「twitterは癒やされますよね、猫だけが流れてくるから」と。わたしの知るタイムラインとは違う、と感銘を受けた。それが正しい使い方だ。「世界にひとつだけの花でも『花屋の店先』には並ばなければならない」と賢しげに語るツイートを見た。ゲイもいるしそうでないひともいる、みんな自分らしく生きようよ、と楽しく歌っているところに異性愛者がドヤ顔でずかずかと割り込んできて「結婚し家庭を成して子どもを持つのが常識。その前提を満たしてこそ人間だ」と頭ごなしに説教された気分。あの唄が流行った頃よりこの国は退行したんじゃないか。花はあなたに見られるために咲いているわけではない。百歩ゆずってあなたに見られるための花であっても植物園もあれば花壇もある。ホームセンターの種売場もある。「花屋の店先」を全世界と思い込むあなたのために咲く花に、広い世界で咲く花の彩りはない。あなたのようなつまらない男に美しいとか醜いとか使えるとか生産性がないとか品定めされるために花は咲いているわけではない。そのことは強く主張しておきたい。そしてそんなくだらない世界からはどんな花も逃げ出すだろう、ということも。twitterのアルゴリズムはやはり、ユーザの挙動を反映した表示機会を雪だるま式に増大させることでユーザ間のコミュニケーションを促しているようだ。フォロワー全員の言葉が等しく流れてくるわけではない。「いつもの顔ぶれ」と感じる体験が生じるように調整されている。アルゴリズムが生成した錯覚なので、最適化されていない挙動がそのために誘発されることもありうる。その挙動もまた増幅され、社会規範を逸脱した挙動=暴力とみなされる。みずからを最適化できた者のみがよりいっそう生きやすくなり、かなわなかった者は疎外され、よりいっそう生きづらさを抱える。しかしそれは要するに「花屋の店先」でしかない。わたしたちはもっと広い場所で咲かなければならない。自分だけの色で。つまらない他人に承認されるためではなく。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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