杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第252回: 出版社の役割

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.09Tue

出版社の役割

最初から日本語で書かれる小説に救われなくなってひさしい。価値観がちがいすぎて共感どころか読みすすめることができない。手にとる気にもなれない。この国では基本的に、「淘汰」する側の論理で書かなければ出版されにくいと感じている。別の視点を求めれば翻訳小説しか読めなくなる。事実この二十年ほどそうしてきた。ペドフィリアやレイピストや差別主義者であることの「権利」が当たり前のように主張され、人権を訴えれば袋叩きにされるようなこの国で、読みたい本が出版されるわけがない。販促は著者がやれというツイートを見た。個人と出版社とのちがいは金と看板の二点にしかない。看板を自分でどうにかしろといわれたら、まぁ実際ソーシャルメディアでうまく立ちまわれるかどうかに出版社の出る幕はないのだけれど、そうであるならば残りは金だけになるし、個人が看板になれば金でさえもどうにでもなる。いずれ著者は出版社のもつすべての機能を高い水準で求められるようになる。個人がでかい資本を運用してさまざまな業務をそれぞれの業者に委託し、プロフェッショナルな事業として立ちまわらねばならないようになる。小説を書く技能、労力、時間は作家にとって些末なことになる。というかすでにそうなりつつある。そうなったとき有利なのは出版社に育ててもらえた世代だろう。過去のコンテンツ資産も含めて投下資本のフリーライドが問題になる。せっかく金を投じて育てた作家が成功したとたん独立し個人でやっていくようになり、何も回収できなくなる。出版社は若い世代にますます金をまわさなくなり、著者はますます離れていく。単純にコンテンツだけを見ても、取材に一銭も要さぬ企画だったとしても最低限、校正校閲の費用がただ乗りになる。作品が成立するまでに出版社がかけた金は戻らず、離れていった著者が得るようになる。著者が動かなければ過去のコンテンツ資産は塩漬けになるだけで、どのみち出版社の利益にはならないのだけれど、出版社の金がなければ作品が成立しなかったのも事実だ。いずれこうしたことが問題になる。器用な著者はすでに動きはじめている。成功の可否はソーシャルメディアにいかに自らを最適化するかだ。いいねされやすいマッチングの表示優先度に絡む関連付けや語彙のアルゴリズムをハックし、自らの人格や言動をそこに最適化するのを人気アカウントは無意識に、それこそ呼吸するように自然にやっている。むろん現実においてもそうなのだが、とりわけソーシャルメディアでのふるまいが商売に直結する。そうした未来に出版社の出番はない。このまま著者にあらゆる責任を押しつけつづければ、ということだ。販促は著者がやれ? たちの悪い客から守ってもくれないのに? ペドフィリアやレイピストや差別主義者を優遇するばかりで、抗う表現はまともに扱おうとしないのに? じゃあ出版社の役割とは何なんですか。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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