杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第250回: だれもいない森で倒れる木

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.04Thu

だれもいない森で倒れる木

ZINE、というものをはじめて手にした。切手や紙テープや手描きイラストのかわいさとか、郵送で届くのを待つわくわくとか、開封したうれしさとか、紙のにおいとか手触りとか、印刷の質感とか、まちまちな字の組み方とか、そういった体験すべてを楽しむものだと感じた。自分のやっていることをZINEやカセットテープD.I.Y.文化に近いものと捉えていたけれど、そうでもなかったようだ。これまでに五冊つくったプリントオンデマンドのペイパーバックで、このような読書体験はなし得ていない。CreateSpaceでつくった三冊はAmazonのシステム上の都合で価格が高騰している。受注生産なのだが一定数売れるとあらかじめ数部刷られ、複数の拡大ストアに商品がまわる。それが在庫となる。しばらく売れないとアルゴリズムが希少品と判定し、複数の店舗間で自動的に価格のつり上げ競争がはじまる。価格のつり上げ合戦は、フィリップ・K・ディックが描いた核戦争後に増殖する自動機械さながらに暴走する。本来は千円でおつりがくるはずの、だれにも需要のない本が現在では三千円以上だ。と思ったら、しばらく見ぬうちに価格が下がっていた。あまりにも長期間、売れなかったために別なアルゴリズムが走ったのだろう。それでも本来の価格よりずっと高い。KUのグラフが一頁分すら微動だにしない時期が半月もつづいた。その間、何度かカテゴリ20位程度まで上昇した。まったく読まれていないのに上昇するのは印刷版が売れたからだろうか、と考えたが実際に売れたのは一冊だけで、電子版の順位とは無関係だった。印刷版が影響しないのだとすれば可能性はふたつ。何らかの意図で順位を微調整されたか、もしくは逆に、実際には読まれたのに読まれなかったことにされたか。先月後半は不自然なほど急激に閲覧が途絶えたので、後者の可能性もゼロではない。しかしわたしの本は読まれるほうが珍しいし、印税をケチるために表示を改竄するなら順位も連動させるはずなので、どちらかといえば何かの実験にたまたま巻き込まれた公算が高い。考えても詮ないことだ。Amazonは彼らがやりたいように表示するし、わたしはそのわずかなおこぼれにあずかるにすぎない。ほんとうにわずかなおこぼれだ。その程度の無能なのだ。先日あるやりとりで主婦業は労働と見なされぬと知った。発達障害には困難である高度なオペレーションが労働でないならば、わたしの本業、ひととひとのあいだの調整をしたり、ちょちょこと事務的なことをやったりする役目なのだが、それはなおさら労働ではあるまい。すくなくとも賃金に値する労働ではない。せめて小説では労働と呼べる成果を残したと思いたいが、実際には小学生の小遣い程度にしかならなかった。Kindleの出版では一般的な会社員の初任給ほど月々に稼ぐ素人もめずらしくないそうだし、目を覆うようなゴミでさえも(あるいはだからこそ、なのか)好意的なレビューを集め、最低でも月に数万は稼ぐのが普通であるようだ。わたしはといえば筆名を変えてから毀損を目的とした人格否定レビューこそ集めなくなったものの、DMでこっそり丁寧な感想を伝えてくれた親切な方おひとりを別にすれば、公に得られた感想といえばインタビューと称して呼び出しておきながら「ばーかばーかへったくそー(笑)」といった低次元の人格否定をふっかけてくるような輩くらい(ばーかばーかは誇張だが「笑」はそのとき実際に何度も使われた表現だ)。人生のいかなる場面においても自分なりにせいいっぱい、やれることをやってきて結果はこのざまだ。『ぼっちの帝国』を書いたより長期間を何も書けずにすごした。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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