D.I.Y.出版日誌

連載第248回: 暴動

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.01Mon

暴動

暴動は大概において対立する側が意図的にけしかけたり、無秩序状態の暴力を好むサイコパスによって扇動されたりして生じ、拡大するものだ。香港のデモにおいても権力側が暴力団を雇ったり警官が抗議者のふりをして暴れたりしたことが知られている。今回の米国でも最初の略奪は白人男性がはじめたそうだし、暴徒に扮した私服警官が一部の放火や略奪を行ったことも判明しつつあるらしい。昨夜には白人女性署長が抗議者集団のなかに入って対話する動画が流れてきた。そのツイートをしたアカウントは金髪白人女性の写真をアバターにしていた。とある研究でもっとも悪意を集めることが実証済みの属性だ(逆にもっとも悪意を避けられるのは猫である)。翌朝、動画のURLをひらこうとしたら削除されており、ツイートを見つけられなかった。単にわたしの検索が悪いだけだろうか。英語をひと言も解さぬのでまったくの憶測だけれど、もしかしたらホワイトウォッシュ的な意図を疑われて、というかそのようないいがかりをつけられて、削除に追い込まれたりはしなかったろうか。前回も書いたが、twitterの検閲を問題視するならそれぞれが独自のインスタンスを持つ社会が到来しそうなものだが、奇妙なことにそうはならない。それどころか、だれもそのことを話題にしない。三年前に日本でMastodonが流行したのは人権侵害から逃れるためではなく、その逆だった。人権侵害を賛美するコンテンツが受け入れられなくなったので、やりたい放題できる場を求めたペドフィリアの男性たちのあいだで持て囃されたのだ。国内最大インスタンスはそのためにネオナチのインスタンスと同列に扱われ、世界のつまはじきにされている。技術的なことに関心を寄せるのが圧倒的に男性ばかりである事実に、ジェンダーによる教育格差を感じずにはいられない。電子書籍のユーザにおいてもこの偏りは顕著に見られる。そのため現状は著者と読者の望む出版と読書が実現されていない。その状況を主体的に変える試みを四年前に提唱したところ、どこぞの業者の怒りでも買ったのか(電子出版について何か活動をはじめるひとを見つけるたびに「だれに断って商売してるんだ」と因縁をつけるアカウントが実在した)、誹謗中傷や脅迫が殺到し、参加者を危険に晒しかねない事態となって、断念せざるをえなかった。発達障害のわたしにとって理解できないのは、多くの日本人が、既存の枠組を疑うことができない(しないのではなく、根本的にできない)ことだ。twitterに「プラットフォームの中立性」を求める発想もそのひとつだ。プラットフォームに中立性などそもそも存在しない。なぜあると思うのか理解に苦しむ。twitterは彼らが金を稼ぐために運営している彼らのためのサービスであり、彼らが表示したいと思うものだけを表示する。要望をいう権利はもちろんあるが、叶えるかどうかは彼らに決める権利がある。なんであれだれかがやってくれるのを待つとか、権力のすることをただありがたがって受けとるとか、そういう発想しか日本人にはない。自分の意思と責任で主体的になしとげる、という発想が根本的に欠如している。それどころか、主体的な姿勢をすこしでも見せると寄ってたかって袋叩きに遭う。これがわたしには理解できない。同様に理解できないのがオンラインサロンなる商売だ。情報商材みたいな搾取構造であるらしい。なぜ信者はそのようなものに金を払うのか。成功の秘訣や最先端の情報を知りたければ、ぐぐりまくったり本を読んだりすれば自分なりの答えが見えてくるはず。他人が偉そうに差し出すものが答えになろうはずはない。しかし、おそらく、逆なのだ。偉そうに差し出される役に立たないものを、多くのひとびとはありがたがって押し頂きたいのだ。権力者のお友だちを儲からせるために配られた汚い布マスクを、感動のあまり落涙しながら仏壇に捧げたいのだ。だまされる体験の快楽にひとは喜んで金を払う。そう考えると、それはそれで正しいエンターテインメントだという気がする。ほんとうに独自性があって最先端の話はだれもついてこない。そんなものはだれも求めない。喜ばれるのはとっくの昔に陳腐化したものだ。ほんとうにいま考えていることを話すとだれにも理解されない。三十年前にだれかがいっていて、十五年前にだれもがいうようになったことを話すと、新しい考えだと受けとられて喜ばれる。賢いひとはたぶん、そのふたつを使いこなすのだろう。そのようなしたたかさを身につけたい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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