杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第247回: 最終出口

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
05.29Fri

最終出口

なんでもかんでも文句を垂れるのではない。大好きなことや信じていることがあるから妨げるものに抗う。本心を隠して屈したくない。黙らされるから生きづらくなるのだ。目の前に問題があれば解決せねばならない。そのために何ができるのかを考えている。そっくりな動画をふたつ見た。米国では警官が被害者を押さえつけるあいだ目撃者らはやめさせようと声をあげ、ショックのあまり支えられながら立ち去るひともいた。翌日にはあんのじょう暴動だ。警察に協力的とみられた量販店が略奪され焼き打ちに。片や日本では助けを求める被害者が「受ける」と嗤われた。あの嘲笑が加害者への挑発なら心意気を感じるのだが……ま、たぶん、違うだろう。人権剥奪を悲願とする政党に忖度したtwitterはあからさまな検閲をはじめた。同じ理由から国内有数のインスタンスがあいついで運用を停止するという。米国では大統領のツイートに警告をつけたのに……との意見を散見するけれど、そう単純な話だろうか。彼が大統領に選ばれたのは広告代理店がtwitterをうまく使ったおかげだといわれている。つまりその時点では協力的だったわけだ。掌を返したのは単純に儲からなくなったからだろう。米国でも日本とおなじように人権侵害の報告は無視される。人気作品のリメイク版に出演した女優が人種差別の被害にあったときもそうだった。日米で企業体質がそう異なるとは思えない。彼らのやり口に筋の通った大人の思考を求めても、『J R』の主人公さながらに意味がない。これからは個々人が自由な発言の場を確保すべきなのかもしれない。Fediverseについて調べはじめた。三年前のブームではどうやらあべこべに人権侵害をやり放題できる場としてもてはやされたらしい。ゆえに国内最大インスタンスはネオナチと同様に扱われ、世界の連合からつまはじきにされている。「friendica インストール」でぐぐって、一頁目にサイコパスのサイトが表示されるあたりがいかにもこの国だ。利用しているサーバにお手軽インストール機能があったのでgnu socialを試した。epubやWordPressによる出版と同様にディスカバラビリティを解決できない。かつてブロゴスフィアと呼ばれていたものとよく似ている。これではBuddyPressでひとりごとを垂れ流すのと変わりないし、そちらのほうが扱いやすくて自由度が高いということになる。ここまで逼迫した状況でありながらFediverseが、検閲による表示抑制ではなく実際に話題にされないのはなぜか、それでわかった。中央集権の恣意的な関連付けであるにせよtwitterの絆主義はディスカバラビリティとしてそれなりに機能する。その点でFediverseはtwitterやFacebookを代替するインフラに決してなり得ない。個の尊重と見出されやすさは両立できないのか。宿命的なものなのか。しかし本、というのはその相矛盾する要素を、長い歴史においてともに成り立たせてきたはずだ。獅子文六の小説に年配の経営者がまっとうな商売を長く積み重ねた「看板」の価値を力説する場面がある。見出されやすさにおいてブランディングが大事だとすれば、その看板はいったいどこで手に入るのか。認知の積み重ねがなければ信頼も得られない。自分でツイートしてもだれにも読まれないがひとさまに紹介していただくと爆発的に読まれる。見出されるか否かはフォロワー数の多寡ではなく、発言者がどれだけ信頼されているかで決まるようだ。ひとづてに紹介される経験を地道に積み重ねばならぬということか。紹介されるためには見出される必要がある。堂々巡りだ。完全なるどん詰まりの個、綴(閉)じられた本とはそのようなものだが、それらを互いにつなげる術はないものか。政府を批判すると黙らされるが、支持者が多いと復活できるそうだ。だれにも愛されない人間はいなかったことにされるだけ。淘汰されざる「看板」を手に入れねばならない。信頼性といえばひとさまの原稿を預かっている。前回は年齢も近かったし、それまでにもある程度の関係性があって、相互の尊重が成立すると感じられたので、不安はさほど大きくなかった。緊張感を楽しみさえした。今回うまくやれるか否かはほかの投稿者を招けるかどうかにかかっているような気がする。よく知らない方とはメールのような一対一の密室のやりとりは避けたいのだけれど、これはどうしようもない。なるべくガラス張りにするためには一対多にするしかない。相手の数が増えれば力の非対称性による「気持悪さ」も薄まるはずだ。しかしこんなことを考えている時点で圧倒的に気持悪い。だれも脅かしたくない。おひとりさまインスタンスにひきこもりたい。が、そうもいかない。出版とは言葉を公にすることだ。見出されねば書かれなかったのとおなじになる。第二波を控えて緊急事態宣言は解除された。外へ出なければ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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