杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第246回: ブリーディング・エッジがやってきた

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
05.28Thu

ブリーディング・エッジがやってきた

前途ある若者が誹謗中傷で殺された。弁護士に加害者からの相談が殺到しているそうだ。社会的に叩いていい相手と信じ込んでいたら裏切られたのだろう。一方わたしのような無名人を叩くのは社会的に是とされている。ソーシャルメディアの運営も支持しており異議申立ては無視される。そして政府批判は罰されるらしい。そのための法整備があれよという間に進展し、忖度したプラットフォームは前倒しで検閲を強化する。彼らは商売だから見せたいものを表示する。Amazonもまたしかりで、読者は彼らの売りたいものだけを知ることになる。彼らの望まぬ本は出版されないか、されてもされなかったのと同じになる。誹謗中傷で若者が殺された件でもうひとつ思い出したのが、ペドフィリアで有名な映画監督の自伝が、出版社の社員のストライキによって直前で出版停止になった件。被害者との力の非対称性があるから賛同するけれど、言論弾圧に利用されかねない実績をつくったとのスティーヴン・キングの指摘にも肯ける。めっちゃうろ覚えの話だけれど、パロアルトの研究所をたずねてアラン・ケイとかに取材した記事がプレイボーイだかペントハウスだかに載って、それがロックンロールと同等の意味合いと衝撃でもってカウンターカルチャーに影響を与えたということがあったらしくて、キングの『ファイアスターター』はその記事に触発されて書かれたのではないかと個人的に考えていて、そのあたりをふまえてピンチョンのインターネット観を思うと、そこはかとなくおもしろいような気がするのだけれど、どうか。反権力としてのインターネットが、ロックンロールがどうなったか。わたしたちの世代にとってロックンロールがいかなるものであったかといえば、団塊世代が自分たちの伝説で金儲けしようとして子ども世代に金網を破られて乱入され、だれも音楽を聴かずに麻薬で泥まみれになり、金儲けも音楽もわやになった1994年のウッドストックがその象徴だ。腹を立てて演奏を中断したグリーン・デイの歌手が「泥んこヒッピーども、おれに泥玉をぶつけてみろ!」と叫んであっさり泥玉の集中砲火を浴びた場面や、半裸の少女が男たちの群れに呑み込まれる場面が公共放送によって中継された瞬間をわたしは忘れない。要するにわたしたちの世代は親世代の商業主義によって食い物にされるだけで、理想も何も持ちようがなかった。言論の自由を実現するかに思えたインターネットにも、なんだやっぱりかよというがっかり感しかない。だから『ブリーディング・エッジ』には親世代もわかってたんじゃないかよと思わされた。そうこうするうちにtwitterが微博なみの検閲をやるようになった。やるだろうといわれていたけれどもここまであからさまにやるとは思わなかった。特定の単語で検閲して表示を抑制するとともに、対象アカウントから生きている電話番号を抜き取り、それができなければ凍結する。実際には大した意味はないが、監視しているぞというメッセージが伝わる。要はソフトな脅迫だ。その話題は深夜には流れていたが朝には表示が激減していた。単に飽きられただけかもしれないが検閲の話題が検閲された可能性もある。こんなにやばい案件がひと晩で問題視されなくなるなんてことがあるだろうか。ましてトレンドに表示されるわけがない。その旨を連投したら単語は明示していなかったにもかかわらず「ツイートのエンゲージメントに基づくおすすめ」にそのものずばりの人名が表示された。思ったより巧妙で精度が高い。そのようなことが技術的に可能だということだ。ここで「表示回数を増やす」を選択したら強い意味が付与される。というか偶然ではないことを何度か確かめたので、その時点で意味が生じている。行動履歴は防疫を口実に政府に渡されるようになるだろうし、その情報がどう使われるかわからない。twitterにかぎらずほかのプラットフォームでも、見せられているものは偶然ではなく、意図されていると思って身構えたほうがいい。防疫を口実に彼らが以前からやりたかったことを実現されてしまった。国内の大きなマストドンインスタンスは圧力を畏れてやめることを決めたそうだ。ピンチョンも『ブリーディング・エッジ』でほのめかしていたけれど、スマホを持ち歩くことも危険かもしれない。設定上GPSは切ってあるけれど、それだってどうとでもなる。カメラや音声入力を切ることはできない。ここまで露骨にやっても大半のtwitterユーザは気にも留めないのだろう。あいかわらず見せられたものが全世界だと信じ込むのだ。この状況をどうにかするには多くのひとが自前のインスタンスを建ててやりとりするしかない。それでも取り締まろうと思えばいくらでもやれてしまう。やられたらまた別の抜け道を考えるしかない。わたしはもうこの歳だし、家族もなく、喪うものは何もないし、そもそもがインターネット上に個人情報の多くを公開しているけれど、これからの若いひとたちはどうやって生きていくのだろうな。わたしの小説は主語や指示語がわかりにくいとか、比喩表現が多いとかいわれることが多くて、それは発達障害のせいもあるけれど、物事をはっきり指し示すと殴られる環境で育ったせいもある。そういう書き方をしなければ社会的に消される時代が訪れた。いや、そういう書き方をしたにもかかわらず補足されたのはすでに書いたとおり。サミズダートでしか本が読めない世界はもうすぐそこだ。epubやWordPressやFediverseでその日に備えよう。一月にtwitterを再開して半年弱。日本の言論史上もっともやばい変化を目撃できた。まさにブリーディング・エッジな経験をした。SFは何をしてるんですかね、この状況に対して。本来の文学的な使命として何かやるべきことがあるんじゃないですかね。ピンチョンがあの歳でやったことを見ろよ。

ブリーディング・エッジ


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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