D.I.Y.出版日誌

連載第244回: ブリーディング・エッジがやってきた

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2020.
05.28Thu

ブリーディング・エッジがやってきた

前途ある若者が誹謗中傷で殺された弁護士に加害者からの相談が殺到しているそうだ社会的に叩いていい相手と信じ込んでいたら裏切られたのだろう一方わたしのような無名人を叩くのは社会的に是とされているソーシャルメディアの運営も支持しており異議申立ては無視されるそして政府批判は罰されるらしいそのための法整備があれよという間に進展し忖度したプラットフォームは前倒しで検閲を強化する彼らは商売だから見せたいものを表示するAmazon もまたしかりで読者は彼らの売りたいものだけを知ることになる彼らの望まぬ本は出版されないかされてもされなかったのと同じになる誹謗中傷で若者が殺された件でもうひとつ思い出したのがペドフィリアで有名な映画監督の自伝が出版社の社員のストライキによって直前で出版停止になった件被害者との力の非対称性があるから賛同するけれど言論弾圧に利用されかねない実績をつくったとのスティーヴン・キングの指摘にも肯けるめっちゃうろ覚えの話だけれどパロアルトの研究所をたずねてアラン・ケイとかに取材した記事がプレイボーイだかペントハウスだかに載ってそれがロックンロールと同等の意味合いと衝撃でもってカウンターカルチャーに影響を与えたということがあったらしくてキングのファイアスターターはその記事に触発されて書かれたのではないかと個人的に考えていてそのあたりをふまえてピンチョンのインターネット観を思うとそこはかとなくおもしろいような気がするのだけれどどうか反権力としてのインターネットがロックンロールがどうなったかわたしたちの世代にとってロックンロールがいかなるものであったかといえば団塊世代が自分たちの伝説で金儲けしようとして子ども世代に金網を破られて乱入されだれも音楽を聴かずに麻薬で泥まみれになり金儲けも音楽もわやになった 1994 年のウッドストックがその象徴だ腹を立てて演奏を中断したグリーン・デイの歌手が泥んこヒッピーどもおれに泥玉をぶつけてみろ!と叫んであっさり泥玉の集中砲火を浴びた場面や半裸の少女が男たちの群れに呑み込まれる場面が公共放送によって中継された瞬間をわたしは忘れない要するにわたしたちの世代は親世代の商業主義によって食い物にされるだけで理想も何も持ちようがなかった言論の自由を実現するかに思えたインターネットにもなんだやっぱりかよというがっかり感しかないだからブリーディング・エッジには親世代もわかってたんじゃないかよと思わされたそうこうするうちに twitter が微博なみの検閲をやるようになったやるだろうといわれていたけれどもここまであからさまにやるとは思わなかった特定の単語で検閲して表示を抑制するとともに対象アカウントから生きている電話番号を抜き取りそれができなければ凍結する実際には大した意味はないが監視しているぞというメッセージが伝わる要はソフトな脅迫だその話題は深夜には流れていたが朝には表示が激減していた単に飽きられただけかもしれないが検閲の話題が検閲された可能性もあるこんなにやばい案件がひと晩で問題視されなくなるなんてことがあるだろうかましてトレンドに表示されるわけがないその旨を連投したら単語は明示していなかったにもかかわらずツイートのエンゲージメントに基づくおすすめにそのものずばりの人名が表示された思ったより巧妙で精度が高いそのようなことが技術的に可能だということだここで表示回数を増やすを選択したら強い意味が付与されるというか偶然ではないことを何度か確かめたのでその時点で意味が生じている行動履歴は防疫を口実に政府に渡されるようになるだろうしその情報がどう使われるかわからないtwitter にかぎらずほかのプラットフォームでも見せられているものは偶然ではなく意図されていると思って身構えたほうがいい防疫を口実に彼らが以前からやりたかったことを実現されてしまった国内の大きなマストドンインスタンスは圧力を畏れてやめることを決めたそうだピンチョンもブリーディング・エッジでほのめかしていたけれどスマホを持ち歩くことも危険かもしれない設定上 GPS は切ってあるけれどそれだってどうとでもなるカメラや音声入力を切ることはできないここまで露骨にやっても大半の twitter ユーザは気にも留めないのだろうあいかわらず見せられたものが全世界だと信じ込むのだこの状況をどうにかするには多くのひとが自前のインスタンスを建ててやりとりするしかないそれでも取り締まろうと思えばいくらでもやれてしまうやられたらまた別の抜け道を考えるしかないわたしはもうこの歳だし家族もなく喪うものは何もないしそもそもがインターネット上に個人情報の多くを公開しているけれどこれからの若いひとたちはどうやって生きていくのだろうなわたしの小説は主語や指示語がわかりにくいとか比喩表現が多いとかいわれることが多くてそれは発達障害のせいもあるけれど物事をはっきり指し示すと殴られる環境で育ったせいもあるそういう書き方をしなければ社会的に消される時代が訪れたいやそういう書き方をしたにもかかわらず補足されたのはすでに書いたとおりサミズダートでしか本が読めない世界はもうすぐそこだepub や WordPress や Fediverse でその日に備えよう一月に twitter を再開して半年弱日本の言論史上もっともやばい変化を目撃できたまさにブリーディング・エッジな経験をしたSF は何をしてるんですかねこの状況に対して本来の文学的な使命として何かやるべきことがあるんじゃないですかねピンチョンがあの歳でやったことを見ろよ

ブリーディング・エッジ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。