杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第241回: ひきこもる

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
05.03Sun

ひきこもる

歪んだ認知で精いっぱい幸福に生きたいのに、気を緩めると宮沢賢治の水彩画のように世界が裂けて、向こう側の現実がかいま見える。自分を客観視などしたくない。無料配布、五冊くらいは捌けたかな、と考えながら客に罵倒される仕事を終えて帰宅し、管理画面を見た。一冊も動いていなかった。人気の商業作品がどこでも無料配布されているときに、間が悪かったよなとも思う。自己欺瞞だとわかっている。現実にはそれが社会における適正な価値なのだ。そしてフォロワーは減った。最近ようやくわかってきたのだが社会的に無価値なアカウントに対する「いいね」はつけた「いいね」の返礼なのだ。それもある一定のフォーマットに沿っていればの許容であって逸脱は許されない。自著について語るなど逸脱の最たるものだ。自分にとってtwitterはやはり四人囃子の「おまつり」のような場所だなと思う。今回のアカウントには社会訓練の意図もあるので、『悪魔とドライヴ』を出版した四年前の、ガツガツした宣伝目的の運用のようには、他人の反応にふりまわされて一喜一憂することはない。ADHD特有の強迫傾向ゆえ依存しやすいという問題はあるけれど、逆にいえばそれ以上の問題はない。自己肯定感に悪影響があるのはむしろ出版だ。書くことだけは無能と思いたくない。価値があるという幻想にしがみつくことでのみ生存を正当化できる。しかし実際はそこにおいても無能であり、無価値であり、社会の迷惑でさえある。エンパワメントのためにやっているのに、浅ましくも人前に出ようとすることで現実を直視させられ、あべこべの結果が得られるのでは、やらぬがましだ。じゃあやめればよかろうとも思うのだが、やめられない。そういう病気なのだ。有害なあがきの一環で本の販売代行をうたう会社に問い合わせた。無名人を相手にしても一銭にもならぬのに丁寧に教えてくれた。手売りの経験を積んでから出直すべきとのことだった。社会的能力に欠陥があるから書いて出版している。しかし流通させるには社会的能力が問われる。人間を介さずウェブ上の仕組みのみで流通させる方法はないものか。その答えのひとつがAmazonだが結局は彼らに気に入られるだけの価値と社会性が求められる。わたしにはそのどちらもない。生存のための労働ならやむを得ない。せいぜい医者に治療を拒否されるほどの無能で、気の毒な他者を脅かして生き恥をかくしかない。書いて出版することはそうではない。不要不急だ。やめられぬのならだれの目にも触れぬようにやればよい。難しいことではあるまい。どうせどれだけの仕事をしたところでだれの目にも触れぬのだ。触れぬものを触れようとあがくから社会の害になる。極力だれともかかわらずに生きねばならない。流行の社会的距離ソーシャル・ディスタンスというやつだ。出版活動を自己満足に最適化するのだ。2017年のリニューアル時点で意図したのがそれだった。初心に返らねば。ステイ・ホーム。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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