杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第237回: D.I.Y.出版と広告

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
04.07Tue

D.I.Y.出版と広告

今夜はしらふである。まぁこれから飲むのだけれど。下戸だというのになぜ毎晩飲むようになったのかわからない。しかも以前は机に置きっぱなしのウィスキーをちびちび飲むだけだったのが、最近は安ワインとか缶酎ハイとか、ビールとか、薄い酒をがぶがぶ飲むようになった。おかげでせっかく眠れても排尿のために何度も起きるはめになる。買いだめした薄酒は買いだめした夜になくなるものだ。初心に返って手元の瓶で景気をつける。悪くない。調子がでてきた。疫病で苛立った客が行列をなし、連日のように理不尽に罵倒され人格否定される日々。昨夜はあまりに疲れはて何も書かずに泥酔して寝てしまったが、今夜はこれから泥酔、じゃなかった、前回予告した宣伝の話を書きたい。発達障害者は酒や薬物ばかりか賭博にも依存しやすいと聞く。わたしは下戸だし競馬もパチンコもやらない。代わりに広告に無駄金をつっこむ。月に五千円からひどいときだと二万ほど、戻ってくるのは多くて五千円である。無駄金を投じたからといって読まれぬが投じなければ一冊も読まれない。なぜなら何を隠そうわたしの本は現代の読書文化、およびそれを支えるインターネットときわめて相性が悪いのである。威張るつもりはないが事実、売れぬのだからしょうがない。アニメ風イラスト表紙の、ほかのどれとも区別のつかぬ「わかりやすい」本、使い古されただれかの言葉が勿体つけて記された本、「いいね」や共有に適した本、一瞬でわかった気分になれる本、そのようなものが現代のこの国では喜ばれる。皮肉や悪態のつもりはない。それが企業や消費者が望む「よい商品」であり、わたしのは生憎そうではないという客観的事実をただ述べている。わたしの本は「普通」でも「よい商品」でもない。わたし自身がそのような人間ではないからだ。なれるものなら正常な家庭に育った定型発達者になりたかったし、「いいね」され共有されるようなアニメ風イラストの似合う「わかりやすい」「よい商品」を書きたかった。「普通」の人間ならわざわざ必死こいてD.I.Y.なんてやらないし、そもそも書いてすらいない。淘汰されるべき生産性のない人間だ。だから苦しんできたし、苦しんでいるあなたのために出版する。わたしがわたし自身であること、あなたがあなた自身であることの困難について書いている。売れた実績のない企画は商業出版に向かない。だからD.I.Y.を選んだ旨はすでに述べた。しかしepubもPODもインターネットの落とし子である。販路もまたインターネットの、しかももっとも濃ゆい﹅﹅﹅部分の偉大なるモール様である。インターネットは90年代には表現の自由や多様化を叶えるかのように夢想された。ひとびとの暮らしに広がり掌の端末に定着してみれば、それは既存メディアの偏狭を効率化し、いびつなまでに拡大しつづけるだけの代物でしかなかった。「世間」に適性がないわたしはインターネットにはなおさら適性がない。読まれぬのは受け入れているが筋の悪い客に読まれるのは業腹だ。望む商品ではないからと、とんちんかんな低評価をつけられる。缶酎ハイしか飲まぬ人間にウィスキーを出したらまずいと吐き出されるのはもっともな道理である。そこでせめて客層の改善をしたいと望んだのが広告の動機で……いや、この辺にしとこう。思ったより長くなった。つづきは明晩とする。酔い潰れていなければの話だが。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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