日記を再開したことには迷いもある。 というのは本の感想が読まれなくなるんですよ。 ひとは本よりもひとに関心があるから。 本の感想が読まれなくなるとリンクが踏まれなくなり、 結果 PA-API が使えなくなる。 案の定、 本の感想はもちろん、 それ以上に自著が読まれなくなった。 笑えるほど明確に激減した (かといって元が読まれていたわけでもない)。 Facebook でも twitter でもフォロワーが減った。 わたしだって見たくなければ気軽にブロックするのでそれはいいのだが、 自著を売りたいのなら賢いやり方ではない。 問題は、 売りたいのか、 ということだ。 実のところそうでもない。 そりゃあお金は大好きですよ。 あれば好きなように生きられるし、 なければ死ぬしかない。 でも健常者と較べられて貶められるくらいならほっといてくれ、 と思う。 じゃあなんでモールに出品したり twitter なんかやったりするんだよ。 と自分でもつねに思うのだが、 その矛盾にはいつまでも答えが出ない。 人格OverDrive に twitter ライクなアクティヴィティ機能を実装し、 だれにも迷惑をかけず独り言を垂れ流した時期もある。 が、 やはり他人の目がなければ書けぬようだ。 承認欲求とかそんなのではない。 愛を求めるのであれば口をつぐんでマスク二枚をありがたがって健常者のふりでもすればよいだけだ。 どんなに蔑まれ見下されようがわたしがわたしであることを人前で垂れ流すよりほかに生き方を知らない。 たぶんそういう種類の変態なのだろう。 さいわい twitter にはブロック機能がある。 見たくなければ使ってもらえばいい。 だからわたしは他人の心情をいちいち気にかけずに済むし、 わたしだって気が向けばその機能を使う。 所詮はインターネットである。 見知らぬ他人との関係性は気軽にオン・オフできる。 今夜は D.I.Y. 出版の広告について書く予定だったけれども安酒でいいあんばいに酩酊してしまった。 明日できることは今日やらない主義である。 どうせだれにも期待されていない。 社会的に圧倒的な無、 それがわたしである。 今夜書くはずだったことは明晩のわたしが書いてくれることだろう。 頼んだぜ。
2020.
4.6Mon
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!