杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第232回: コロナ以後の世界と出版

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
04.01Wed

コロナ以後の世界と出版

以前『妄想中年日記』と題していた連載を『出版日誌』として再開する。三十年ほど前に「生産者の顔が見える野菜」といったものが話題になったと記憶している。農家の名前と似顔絵を袋に貼って販売したのだ。顔の見えない世界的大企業が巨大資本で地球規模の画一化された商売をやる、というのだけがまかり通るのではなく、人間性を隠さない個人が、ひとりひとりのお客さんと向き合って相手の人格を尊重した商売をする。それが出版の未来かもしれない。個々の人間の「顔」は必ずしも見えなくていい。見えるべき、見せるべきは独自の視点と、それによって提示される文脈だ。その棚でしか得られない文脈と、その文脈を支える独自の視点が求められている。たとえばわたしはナボコフを発達障害者の認知を描く作家だと考えている。なので『淡い焰』を売りたい棚には発達障害の解説書や『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』や『アバウト・ア・ボーイ』を並べるだろう。ナボコフの肖像をあしらった缶バッジやトートバッグやマグカップも並べるかもしれない。文脈、という言葉がわかりにくければ「関連付け」でもいい。アルファベット最初の文字からはじまる偉大なるモール様は、この関連付けが致命的にだめだ。独自の視点は存在せず、「売れるものをより売りたい」「利益や権利において都合のいいものを売りたい」という、読者をないがしろにする論理ばかり。かつては似た購入傾向が関連づけられることで結果的に文脈が生成されていた。だが彼らのアルゴリズムは利益や権利の効率を最大化することに主眼を置いている。その核が雪だるま式に膨れ上がった結果、現在では「売りたい商品がただ陳列されている」状態と化した。顧客第一主義を謳いながら実際には客を顧みない店の栄華がいつまでもつづくとは思えない。20年以内に衰退するだろう。巨大モールが衰退して残るのは個人商店ではない。草一本も生えない焦土だ。個人商店街をシャッター通りにしたショッピングモールが撤退したからといってどの店も復活しないのと同じだ。モールの都合しか棚に見出せなければ「本とはつまらぬものだ」との印象が広まり定着する。すでにそうなりつつある。そうなる前に動かねばならない。独自の視点に基づく文脈、あるいは関連付けを提示する。それこそがいま出版に求められている。『本の網』はそのための試みだ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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