前作は若書きの習作を書き直したにすぎず内容も薄かった。 今回はそれなりに力を入れたが売るのには前作にもまして失敗した。 両者の違いはふたつある。 まず広告に無駄金を投じる気力が失せた。 次に無料キャンペーンの有無だ。 KU 以降はあまり意味を成さなくなったかに見られているが、 多少なりとも露出を増やすにはいまだ有効なのかもしれない。 あるいは無料配布と広告の組み合わせに多少の (気休め程度の) 効果があったのだろうか。 発売直後に広告で集客して無料配布し、 ひと月ほど 99 円で売ってから値上げすべきだった。 今回はすでに 480 円で購入実績が生じたのでいまさら引き返せない。 ゴミほど気軽に手に取られやすいストア特性の前では出版に力を入れるほど社会的に無価値である事実に落胆させられる。 読まれるためではなく自分にもやれると感じるためにやっている。 無力感を募らせるだけなら逆効果だが、 かといってやめることもできない。 愛されるために生きているのではないのと同じだ。 他人とかかわるのは苦痛でしかない。 死ぬのも死に損なうのも厭だから生きている。 だれともかかわらずに生きられれば赦しなど要らないが、 奪われつづけでは生きていけない。 やむだけでは苦痛は解消されないし、 決してやみはしないのも知っている。 取り戻せるはずなどないのにさもしくも渇望する。 愛は生まれながらにすべてを所有するひとたちのものだ。 有限かつ寄り集まる傾向がある。 持たぬ者を蔑むひとたちが固く握りしめて生まれてきて死んでも離さない。 幼かったおれを虐待していた父親の年齢になった。 若かったおれが一緒に暮らしていた女を、 酔うたびに電話一本でデリヘル代わりに呼びつけた妻子も持ち家もある教師の年齢になった。 彼らと同じ年齢になっても奪われたままだ。 どれだけあがいて努力しても取り戻せない。 雨が降っていて寒い。 ジムにも郵便局にも行きたくない。 書評サイトへの献本が億劫になった。 広告と同じ。 金と時間と労力を投じた分だけ惨めになる。 ならばもっとましなことをやるべきだ。 小説を書くのは病気だからやむをえない。 日記はどうだろうか。 出版にともなう思考を記録するよりも実践すべきだし、 日々の気分を垂れ流すくらいなら小説を書くべきだ。 小説の連載機能は、 実装したおかげで 『ぼっちの帝国』 を書けた。 しかし日記に利点はないのかもしれない。 時間を浪費して自らを貶めるだけだ。 本の感想と小説の連載だけに特化すべきかもしれない。
2019.
11.11Mon
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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