佐藤亜紀氏がプリントオンデマンドをはじめたのは今年からのようだ。 おそらくおれと同じサービスを使っていると思われる。 新書版を選択したのはペイパーバックの質感に馴染みやすいからだろう。 絶版本の版権を出版社から引き上げて自力で出版する著者はこれからも増える。 企業の資本で校正校閲され知名度を得た作品であっても彼らが売るつもりのない本を著者がどう扱おうが問題ないのだろう。 Amazon レビューを信じるならばデビュー作の Kindle 版は校正を経ていないテキストを使用しているようだ。 企業の権利に配慮したのか手元に残っていたデータが校正前のものだっただけなのかはわからない。 プリントオンデマンドの件も含めてそのあたりを取材した記事を読みたいものだ。 今後は企業が発掘して育て上げた著者が投下資本を回収されるべき頃合いで原稿を引き上げて自主出版に向かう流れが生じるだろう。 売ってもらえず自助努力だけ求められるのでは企業の下請けとして残留するだけの充分な利点がない。 しかしそもそも発掘して育て上げる博打に資本を投下する胆力が企業にどれだけ残されているのか。 著者自身のソーシャルメディアでの立ちまわりに丸投げするようでは役割も限定的になる。 法的な問題の解決や校正・校閲といった部分的な役割のみが求められるようになりかねない。 そうなれば何も総合的な役割をひとつの企業に求める意味はなくなる。 校正・校閲はそれを専門とする業者に、 法律は法律家に著者が自力で依頼するようになるだろう。 いちいち調べて依頼するのが面倒だという著者に対しては出版エージェントが商売をする余地が生じようが、 残念ながらこの国において出版エージェントなる業態は、 おれの知るかぎり詐欺のような悪い噂しか聞かない。 ストアで佐藤亜紀氏の著書一覧を拝見すると失礼ながらブックデザインが徐々に向上しているように感じられる。 ご自身でやっておられるのだろうか。 Look Inside! で見るかぎりプリントオンデマンドの本文はワープロソフトで出力したもののようだ。 肝心の小説については較べようもないが本としてのつくりだけは人格 OverDrive のほうが上を行っている。 彼女がキャリアのはじめから自主出版であったなら読者に見出されたろうか。 ストアの適性という点でいえばわからないが、 いずれにせよソーシャルメディアで大勢のフォロワーを集め、 評価経済の換金装置としてのストアへ誘導するのも困難ではなかったかもしれない。 成功する著者はどのような時代であっても成功するものなのだろう。 『火星の人』 のアンディ・ウィアーがいかにして見出されたのかは調べてもよくわからない。 ウェブサイトに無料公開した小説が評判を呼んで⋯⋯という伝説は有名でも、 ウェブサイトが見出された経緯を解説した記事には出くわさない。 とある記事によれば多くのフォロワーが連載小説の Kindle による単行本化を望んだ、 とあるのでおそらくソーシャルメディアでの立ちまわりが巧みであったのだろう。 インターネットのテキスト表示は英語の考え方やつくりに基づいている。 たとえばパラグラフと段落、 行間とラインハイトは異なる概念だ。 そのため日本語で長文を読ませるには適さないのだが、 長編小説を読むのに本としてのパッケージ化が求められるのは英語圏でも同じなのかもしれない。 あるいは日本と同様に評価経済の換金装置としての役割が求められたのだろう。 いわゆる 「お布施」 あるいは 「振り込めない詐欺」 的なニーズにおいて。 なぜこんなことをつらつら考えているかというと 『ぼっちの帝国』 は 『悪魔とドライヴ』 の三十倍はよく書けたのに十数人にしか読まれなかったからだ。 『悪魔とドライヴ』 はブラッシュアップ工程の参加者に話題にしていただいたおかげでもう少し読まれた。 大勢で互いに技能の貸し借りをする手法を広めて定着させれば、 品質向上においてもディスカバラビリティにおいても利点は大きかったのだが、 これまで何度も書いてきたように脅迫や厭がらせによって参加者が危険に晒され、 他人の本にまで適用させることができなかった。 せっかくの気運が潰されたのでその手は二度と使えなくなった。 品質における代替手段は結局のところ上に述べたように金をかけて業者に委託するしかなくなった。 ではディスカバラビリティにおいてはどうかと問えば、 即効性のある正解としてはソーシャルメディアでの巧みな立ちまわり、 世渡りの術がすべてであろう。 しかしそんな器用な真似ができぬから小説を書くのである。 本には短期的に話題となって非常によく売れるが、 すぐ忘れ去られてブックオフの百円コーナーに並ぶものと、 長い時間をかけて静かに読まれつづけるものとがあり、 どちらかといえば後者をめざしたい。 前者は人づてに読まれ、 後者は本のつながりで読まれる。 そのつながりを 「本の網」 に実装し、 検索経由で訪れた客を自著に誘導することができればと夢想している。 極めて長期的な視点に立たねばならない。 即効性はない。 そして現状は読書量が圧倒的に足りない。 小説を書くのと読むのを同時にやれない性質で困っている。 『ぼっちの帝国』 が手を離れたので長らく積ん読になっていたウィリアム・ギャディス 『J R』 に取りかかろうとしたのだが、 どうも身が入らない。 書いていた七ヶ月のあいだに読書する筋力が衰えたようだ。 『ぼっちの帝国』 ペイパーバック版はあす発売。
2019.
11.04Mon
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!