D.I.Y.出版日誌

連載第221回: 好きにやらせろ

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
10.19Sat

好きにやらせろ

『ぼっちの帝国』の価格は知人に買ってもらったら380円に上げるつもりでいる。それまでは99円。元年から九年、黒船来航から七年。最近になってようやく「紙は場所をとるから」と電子版で読むひとに実際に出くわすようになった。その知人には200円やるから買ってくれよとせがむつもりだ。販促費が101円ならFacebookやgoogleの広告費より安い。書いたものが他人のもとに残ればなんとなく満足感を得られるというだけで実際に読まれる必要はない。買わされる側にしてみれば妙な購入履歴が残るのは釈然としまいが、それなら200円受けとるだけ受けとって買ったような顔さえしてくれればいい。むしろ「感想をいわなくちゃ!」などと気負われるほうが心苦しい。気遣いはありがたいがその負担にお礼を述べるのが気詰まりだ。罪悪感を味わいたくて買わせるのではない。では何のためか。きっと頭がおかしいからなんじゃないかな。アルファベット最初の文字からはじまる偉大なるモール様の商品ページは汚染された。思わしくない商品と関連づけられて表示されるようになった。旧筆名時代の、石をひっくり返して醜い虫を観察するのにも似た興味で貶めようとする客しかいなかった。類は友を呼ぶというやつでおれは所詮その程度なのだ。逆にいえば彼らも所詮おれと同程度なのだ。醜い虫を観察するとき醜い虫もまたあなたを観察しているのだ。そのうち作中に登場する金舟みたいなレビューをつけられるのだろう。望ましい客筋に訴える努力をしなかったからだ。気力がなかった。というか金がなかった。もっとましな装画を用意して印刷版まで完成させてから広告をすれば多少はましだったかもしれない。金がなかったのでしょうがない。金がほしいのかと自問する。金を受けとればそれなりの社会性が求められる。そんな能力はない、だったら要らないと自答する。99円で出したのちに値上げする案は販促をちゃんとやるつもりでいたときに考えた。いまとなってはどうでもいい。ランディングページは世間的には偉大なるモール様ということになるだろうがおれにとっては人格OverDriveこそがランディングページだ。意思の及ばない場にクヨクヨしてもしょうがない。自力でコントロールできるその場さえ醜くなければいい。『ぼっちの帝国』を書いてみて実感したのだがおれのミソジニーは底なしだ。ここまでひどい悪意をあからさまに書く人間はほかにいまい。これまでにも何度もくりかえし予告してきたがミソジニー二部作の片割れは『GONZO』という中年探偵と女装男子のBLアクションになる予定。『ぼっちの帝国』よりもはるかにジャンル的な作法に徹するつもりだ。そうした書き方からは長いこと離れていたので思い出すのに難儀しそうな気もする。とりあえず積ん読を解消し、二十年ほど前に感銘を受けた作品群を読み返して勘を取り戻し、その上でノワール系のジャンルを集中的に学習しようと考えている。『ぼっちの帝国』は女として共感できないと評された。ひとりの女性が全女性の感性を代表できるものか疑問だが、それはともかく健常者は発達障害者に共感できない。それだけのことだ。おれだって健常者には共感できない。そして発達障害とひとくちにいってもひとそれぞれで、互いに共感などしようがない。人間はだれしも他人だ。どこまでも相容れない。その相容れなさを書いている。だれにも共感できずだれからも共感され得ない孤独を。相容れないその孤独こそが尊重されるべきそのひとの人格であるということを。そういうものを書いて出版する人間が世の中にひとりくらいいてもいいじゃないか。どうせだれも読まないのだし。好きにやらせろ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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