D.I.Y.出版日誌

連載第220回: 幸せになりたい

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
10.18Fri

幸せになりたい

自己肯定感の向上のために書いて出版している。自己肯定感とは自分にもこれだけのことがやれたと実感することだ。その条件に他者を介在させてはならない。徹頭徹尾あくまで自己完結できねばならない。三年前までは売れないのを気に病んだ。もっと評価されてしかるべきだと考えたしどうしたら売れるようになるか死ぬほど考えた。ストアの客層やインターネットそのものが自分とは相容れないものを求めているとわかった。向上したい。いいものを書きたい。よりよいものになるほどだれからも見向きもされなくなるとわかった。突き詰めれば賞賛されたいわけでも金がほしいわけでもない。本当にほしいものはそれではないと結論が出た。他者によって自己肯定感が左右されるようではかなわない。両親の虐待のもとでめちゃくちゃに歪められた子ども時代と何ひとつ変わらない。そんな風にはなりたくない。自分にはこれだけのことができたと実感するには何が有効か。他者との関わりを極力なくすことだ。他者はおれを否定し貶めることしかしない。社会の基準からすればそれは当然だ。だからといってそれをよしとするつもりはない。おれを社会にとってよしとするつもりもない。もしそんなことをすればそれは自己愛であり社会に対する暴力となる。そんな人間にはなりたくない。だが社会がどうあろうがおれはおれで死ぬまで生きていかねばならない。生きるには最低限の自己肯定感が必要だ。そのために出版する。他者ではなく自分自身の評価基準においていいと思えねばならない。そのためには書いたものの質量を感じねばならない。印刷版を今月中に作成する。それでどれだけの質量が感じられるのか。吹けば飛ぶようなものだ。自著だけではない。読んだ本を並べてこれだけのものを読み味わったと感慨に耽るのがいい。そのためには書棚を購入すべきかもしれない。それだけの空間が部屋にない。金もない。人格OverDriveの「本の網」はその代替となる。表紙が並ぶ。せいぜい眺めて悦に入ればよかろう。それだけではさして自己肯定感に貢献しない。他者と関わる要素は極力、減らさねばならぬと決めたとき、Facebookページをどうするか迷った。広告のために用意した手段だ。しかし広告に無駄金を費やすのは、かつてはそれ自体がスキル向上の学習になり得たが、いまでは百害あって一利なしと見なさざるを得ない。記事の更新を告げる場としても副次的に機能していたのでそれを切れば社会とのつながりを完全に断つこととなる。そうすべきかどうかいまだ迷っている。それにつけても金だ。自己肯定感には金が要る。出版は金が出て行く一方だ。書くのも出版もやめるべきかもしれない。書くのをやめるのは呼吸をやめるのも同然だ。書いて燃やすのを日々の営みとすべきかもしれない。生まれてこの方だれからも一度も愛されたことがない。愛が幸福の必須条件だとは考えたくない。自己完結して生きるのだ。負け惜しみではなく心からそれを求める。出版がその役に立つならそうするし害にしかならぬのならば惜しみなく棄てる。これ以上不幸になりたくない。向上したい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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