杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第219回: 個人的な理由

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
10.17Thu

個人的な理由

八冊売れた。自分以外に七人が買ったということだ。KUも含めればさらにもうひとり。手応えが皆無なので広告をやめた。小学生の虫歯予防図画コンクールみたいな『逆さの月』のときでさえもう少しは反応があった。驚くことでも嘆くことでもない。正直にひらきなおれば自作イラストとしてはそれほど悪かったと考えていない。しかしストアに並べると『ぼっちの帝国』の装画は明らかにみすぼらしい。いかにも素人のゴミでございといった態だ。よほど見るからにプロフェッショナルでなければ白い装幀はやめたほうがいい。しかしBeatles風にするにはああするしかなかったし自力ではあれが限界だ。他人に頼むコネも金もない。印刷版の裏表紙はグレーのヘルベチカで「The Botchies」とするつもりだ。ナンバリング風の文字も入れるかもしれない。商売ではないのでやりたいようにやって満足できればいい。「わかりやすく」するためのサブタイトルも逆効果だった。おれの「わかりやすさ」は「わかりやすさ」への悪意でありそれがあからさますぎた。こうまで反応が悪いと知人に配るにも適さない。『悪魔とドライヴ』は幸福な本だった。大勢の協力を得て世間的な「わかりやすさ」に可能なかぎり寄せた。他人の装画のおかげで自著ではもっとも読まれた。あれは最初からあの長さを意図して書いた。今回、連載ごっこをやってみてわかったのだがウェブで長編は読まれにくい。せいぜい250枚が限度だ。短いものを短期間で定期的に連発すれば長いものも読まれるようになるのかもしれない。すでにある「わかりやすい」商品でかつ短いということだ。意図してそれがやれるのは優れた商売人だと思う。残念ながらおれは優れた商売人ではない。ただ病気で書いているだけの人間だ。『Pの刺激』と『KISSの法則』は可哀想な本だった。何度も書き直すうちに削りすぎた。もとの三分の一以下になり読みやすくなった反面つまらなくなった。装幀はうまくやれたと思う。『逆さの月』は今回のための助走であったのであんなものだろう。装幀も今回のよりはましだ。読むには八百枚くらいがちょうどいい。たまに千二百枚くらいの読み応えのあるものを望む。ピンチョンとかアーヴィングとか、豊穣な長さだからいい本もある。しかし普段はなるべく片手になじむ厚さを好む。逆に三百枚前後の短さもいい。タイトでソリッドで鋭く胸に突き刺さる。それぞれのサイズ感がそれぞれの理由で生理的にしっくりくる。もっともだめなのは今回書いたような六百四十枚くらいの中途半端なやつだ。扱いにくい長さであることは新人賞の規定がたいがい五百枚以下であることからもわかる。自分で購入してざっと目を通して「短いな」と思った。書いた感覚としても余力があったしあと二百枚はあってよかった。しかし当初からこの長さ、あるいは短さを予定して書いたので仕方ない。書くのに要した時間も予定通りだった。プロフェッショナルな技能を確かめられた点ではよかった。しかし他人に読ませようと考えるなら七ヶ月もかけてやるような仕事ではない。名刺代わりに配るには今後も『悪魔とドライヴ』がいいかもしれない。装画が優れているし薄くて相手の負担が少ない。99円で購入した自著に、苗字に君付けするはずの人物が綽名で呼んでいる箇所と、奥付の脱字を見つけた。直して再アップロードしたのだがそれによりもっと大きなミスが生じたかもしれない。別に構わない。どうせ読むのは自分を含めて九人だ。やはり小説は書くものではない。読むものだ。これからしばらくは他人の本を読んで過ごす。普段このサイトを見に訪れる五人ほどの客にはおそらく気色の悪い虫を観察するような意識がある。あなたがそうだというつもりはない。でもそのあなたでさえも『マザーレス・ブルックリン』の感想は読まずにこの日記を読んでいる。あなた以外の客はもちろん『ぼっちの帝国』を読まないし、読まずに貶めるようなことをいいふらす。それがわかっていてなぜこんな文章を書くのか。そういう病気なのだ。それにいま他人にどう思われようと、数年後のおれはこの文章をなんとなくおもしろく感じるのだ。あの頃は自分なりに頑張っていたなとか、そういう個人的な理由で。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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