前回のつづき。 泥酔していたせいかうっかり OS を更新し、 MedibangPaint が起動と同時に落ちるようになった。 やむを得ず iPhone に Medibang をインストールし PNG でレイヤーごとに書きだし Gimp で仕上げた。 本当は人物が手にしている本にぼやけた絵を描くつもりだったのだがおれの環境では Gimp がまともに動作しないので断念した。 Medibang がいかに使いやすかったか思い知らされる。 この際フルセットの adobe を導入すべきかとも考えた。 現状は印刷版のために inDesign だけ使っている。 在りし日の Medibang 唯一の難点は自前のフォントではカーニングが使えないことだった。 今回は Pages で字詰めして PDF に書き出し、 プレビューで PNG に変換するというわけのわからない工程を経てどうにかした。 プレビューは簡易画像編集アプリとしてとても優秀だ。 ちょっとした編集なら直感的かつ手軽にやれる。 しかしイラレが使えるようになればこんな苦労は要らないわけだ。 年に一度使うかどうかのために adobe 税を収めるべきか悩む。 いずれ自分の人生を精査して本当に必要なものだけに金を投じるようにしたい。 いまはまだあれこれ試す時期なので無駄な出費が生じるのはやむを得ない。 発達障害だし両親がきちがいだったので健常者が子供の頃に身につけることを四十すぎてから学ぼうとしている。 食べるもの、 身につけるもの、 道具、 他人との距離の取り方、 読むもの、 観るもの⋯⋯などなど。 『ぼっちの帝国』 はそうしたフィールドワークの成果物だ。 三年前は自分だけに閲覧できるように設定した Facebook を日記代わりに使っていた。 それによれば構想は当時からあった。 「『ぼっちの帝国』 という中年男が集団生活する疑似家族もの」 というメモをちょうど三年前のきょう投稿している。 『ぼっちの帝国』 についてはそれよりも前から案があり、 当初はウェブマガジンのようなものにしようかとも考えていた。 発達障害のおっさんが人生を愉しむライフハック的な情報を集めたサイトだ。 作中で登場人物らがウェブサービスを起ち上げるのはその発想の名残だ。 結果として小説になったわけだがおれは人種として作家なのでそれで正解だった。 人種として作家というのは他人に説明してもわかってもらえるとは思わないが生まれながらにそういう人間がいるとおれは信じている。 プロになれるかどうかはまた別の話だ。 それは商売だ。 どちらかといえば他人や社会とうまくやれる技能がそこには関わってくる。 商売にするには他人とうまくやること自体を愉しめたりうまくやれたりする技能が何よりも重要だ。 それは芸術とは必ずしも関係がない。 必ずしも、 というのは基本的には関係があるだろうとも思うからだ。 われわれが知ることのできる作家や作品はそのあたりをクリアした才能だけだからだ。 ふるい落とされた天才もおそらくは星の数ほどいるのだろう。 ボタンを押すだけで AI が一回性の傑作を自動生成する時代になればそんなことは何の意味もなさなくなる。 星の数ほどある傑作だけがわれわれの触れ得る作品となるし、 同じものには二度と出逢えないし他人とも共有できない。 明け方の夢みたいに。 芸術はいずれそのようなものとなる。 とりあえず現在は店に売られている商品だけが世間に存在するものとして語られ、 「国民」 にとって気に入らない表現はあってはならないとされる 「わかりやすさ」 だけが商品としてわれわれの目の前に並び、 その条件を満たさぬものは排除されつづける。 『ぼっちの帝国』 は排除される側の物語である。 着想のもとになった作品はこれまた星の数ほどあるが、 そのうちひとつである 『結婚できない男』 の続編を Gyao! で観た。 リンチの 『DUNE』 を観たホドロフスキーのように元気が出ればよかったのだがあいにくその逆だった。 他人の失敗を素直に喜べないのは作品の問題ではないからだ。 この国のエンターテインメント自体がもはやそのようなものになってしまった。 もとより日本人はものを考えるのを憎む。 長年そのように政治的に教育されてきたからだ。 エンターテインメントには実のところ視点が案外、 重要なのだがその視点が致命的に欠けている。 というかこの国では視点を持つことが許されない。 獅子文六が国策に協力させられたとき、 軍人の態度があまりに軽かったので驚かされたという逸話がある。 ひとびとがそのような社会を求めるのだ。 「わかりやすい」 とはそのようなことだ。 三木聡のドラマも続編をやっていてこれもひどかった。 おそらく若い視聴者のためだろうが 「これはギャグなんですよ」 という説明がくどいほど挟まれる。 逆にいえばたかだか十数年前の日本人はいまよりもまだしもものを考えていたのかもしれない。 この国のエンターテインメントはそのようなことになってしまった。 プロにならなくてよかったと心から思う。 とりあえず装画はこんなもので妥協しようと考えている。
追記:いろいろめんどくさくなったので結局、 出版した。 あしたには amazon に並ぶと思う。
追記 2 :反映された。