妄想中年日記

連載第211回: 幸福の手段としての出版

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
10.04Fri

幸福の手段としての出版

本業の影響で完成が遅れている。最後の章は五枚ほどに収めるつもりだ。予定より少しだけ長くなった。この長さの長編を書くのは14年ぶりだ。これまでに出版したどの小説ももとは七百枚前後あった。書き直すうちに三百枚前後の中編になった。今回はなるべく手を入れたくない。書き上げたら専門の業者に校正校閲を外注するつもりだった。ちゃんとしたものを書いたのでちゃんとした出版をしたかった。しかし収支を振り返ったところ思ったより経済状態が悪い。だれも読まない本に二十万も投じる余裕はない。これまで通り誤字の修正や表記の統一すらできずに出版することになりそうだ。Atokにはウェブ校正ツールがあるのだが小説には役に立たない。また長編を一度に入力することはできないし、章ごとの入力では表記ぶれの判定が意味を成さなくなる。まして校閲まで踏み込むのはプロにしかやれない。校正校閲にせよ何にせよちゃんとした仕事には時間も労力もかかるし、そこには対価が支払わねばならない。外部の作家に連載を依頼する試みも金が足りずに挫折した。本来は複数の視点から語られる中編になりそうだったのにひとつのパートだけで終わってしまった。おれ自身は「いいものをつくりたい」という思いだけで書くことができる。そのために年中無休で四六時中あがいて利用できるものはなんでも利用する。しかしだれにも読まれず金が出て行くだけなのにおれがこれだけ働いているのは単純に頭がおかしいからだ。同じことを他人に求めるのはいわゆる「やりがい搾取」というもので、通常はだれだって相応の金をもらわねば働けない。小説を書くというおれが唯一知り得る技能でさえそうなのだ。書いたものを出版するのに伴うさまざまな工程にはまして相応の金が必要となる。しかしないものは出せない。どうにもならない。というか出して出せないことはないのだが出せばわずかな蓄えが大幅に減り、暮らしが極めて不安になる。そこまでのリスクをいまの生活では負えないと判断した。おれは重度の発達障害で、おそらく軽度の知的障害もあり、どうにかこうにか暮らしていかれるだけでも幸運なのだ。あとどれだけ生きられるにせよ折り返し地点を過ぎているのは確かだ。これまでが惨めだっただけ残りの人生は少しでも幸福に生きたい。幸福の条件は自己完結できねばならない。条件に他者を含めると幸福にはなれない。自分の努力でどうにかできるものではないからだ。努力でどうにかできるものだけを条件とすれば幸福になれる。小説でいえば読まれることや金は条件にならない。いいものを書けたかどうかだけが条件となる。発達障害のおかげでおれはだれからも愛されたことがないし、これからも愛されることはない。愛を幸福の条件にしてはならない。それが『ぼっちの帝国』のそもそもの主題だった。しかし他者との関わりがなければ小説にはなり得ないので(なぜなら小説は人間を描くものである以上、個人と社会との関わりを描くものだから)、だれにも愛されない人間どうしが利用し合うことでそれぞれの幸福を見出そうとする、そのための手段というか枠組として新たな家族のありようを提案した。小説だからそうなのであって現実には逸脱そのものが許されず、あのように逸脱したものどうしが幸福のために利用し合う関係は、夢物語でしかない。とりあえずいまおれは幸福になるための自己完結に何が貢献するか、を基準にものごとを考えている。校正校閲に金をかけるのは「ちゃんとしたものを出版した」という思いにおいては有益だが、暮らしの不安という面において好ましくないと判断した。ひと月ほどかけて可能なかぎり文章を直して(発達障害なのでやれることはかぎられている)、そののちに装幀や組版をどうにかして出版するつもりでいる。名刺代わりに配るので印刷版が主だが最近は電子版もばかにならない。印刷版は場所をとるから電子版のほうがいいとするひとも身近に現れるようになった。装画は60年代風のサイケデリックなものを考えていて、具体的な構想もあるのだが自力で描くだけの能力がない。かといって外注して成果を得るにはやはり相応の金が必要で、ちょっと難しそうな気がしている。今後のこともあるのでiPadを買うか否か悩んでいる。発達障害であるがゆえに社会にもインターネットにも適性がない。ましてやストアでの表示機会は極めて制限される。他人に読まれ愛されることはおれの人生にはない。自己完結できる幸福をいかに追求するか。そのための手段として満足のゆく出版ができればと思う。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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