妄想中年日記

連載第209回: 本を読める世界をつくる

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
09.04Wed

本を読める世界をつくる

昨夜のつづき。現在、アルファベット最初の文字からはじまる偉大なるモール様では質や内容にかかわらず、読書の文脈や読者の嗜好とも無関係に、経済的効率の最大化を意図した表示がなされている。商売だから当然なのだが消費者としては困る。読みたい本に出逢えずストアから疎外される。そこでの主な客層は美少女アニメとゲームに親和性があり本をあまり好まないひとびとだ。彼らはその感性とわずかな読書経験において「理解できる」と感じるものを、つまりは仲間内の馴れ合いに使える「ネタ」をクリックし高評価する。ストアにとっては効率よく稼げればいいのでそのような商品の表示機会を雪だるま式に増加させる。一方で時間をかけてじっくり読まれて評価される本は効率が悪いので表示機会が減らされる。結果としてわれわれはゴミに埋もれ、読みたい本を読めなくなる。別名で活動していた時代、その状況を改善しようと、大手出版社を経ない出版の質を向上させるとともにブランディングを図ろうと試みた。質の向上とブランドとしての印象づけは両輪のようなもので、どちらを欠いても機能しない。向上のための手段(あるいは道具)と場、印象づけのための手段(道具)と施策、さまざまな取り組みをはじめたところで脅迫や厭がらせにあい、参加者を危険に晒しかねなくなって断念した。いまでも機会さえあれば他人に説明しようと試みるのだが(賛同者や協力者さえ得られればいつでも再開できる)、かつて一度たりとも理解されたためしがない。わざわざ大手出版社を経ずにミニマムなやり方で出版するのは、偉大なるモール様に最適化されることを目指すような商品に、そもそも馴染めないからである。ひとりひとりの異なる価値観、異なる視点で書かれた本を求めている。唯一にして絶対のモール様の権威は高まるばかりで、そこで売れなければ出版されなくなる。出版されなければ読めない。みな一様に美少女アニメやゲームの色に染まるのであれば、そして、みんなが知ってる馴れ合いの世界だからよい、という価値観ばかりになれば、ひとびとは本をそのようなものだと思うようになる。そのような本が悪いというのではなく、それだけになるのが危険だと主張している。いま育っている若い読者はそのような本しか知らない。そのようなものだけがいいものだと信じさせられて育つ。やがておれが読みたい本は存在しなくなる。おれはそれをファシズムのようだと感じるし、だからこそ大手企業を経ない極小規模の出版に、民主主義の可能性を見た。一様な価値観ではなく多様なもの、仲間内で馴れ合う手段としてではなく、個が個であることを受け入れるものとして本を考えたい。WordPressの標語は「出版の民主化」というものだそうで、やりたいのはまさにそういうことだ。人格OverDriveは偉大なるモール様を手段(道具)のひとつとしては今後も活用するが場としては捉えない。あまりにもそぐわないからだ。場ということでいえば居場所は人格OverDriveをおいてほかにない。願わくば本を読みたいひとに利用される場でありたい。『ぼっちの帝国』出版後は『本の網』に力を入れるつもりだ。本は人づてならぬ本づてに読まれるものであり、そうした機会を生成することで流れに抗いたい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
ぼっちの帝国