妄想中年日記

連載第204回: 垂れ流す

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
07.16Tue

垂れ流す

日記を読みに訪れるお客様もいらっしゃるようなのでたまには更新する。『本の網』記事ではアルファベット最初の文字からはじまる偉大なるモール様のAPIを勿体なくも利用させていただいている。つまりリンクを踏んで買い物をしてくださる奇特な方のおかげで商品価格や出版社名が表示できる。過去30日間にわたって幸運に恵まれなかったおかげでエラーが出た。どなたかリンクを踏んだ上でどんな安い商品でもいいのでお買い求めいただけませんかね。たとえばこんな商品はいかがでしょう。ペイパーバック版は16日中ならプライムデーで10%還元らしいですぜ。

こんなことでいちいち振りまわされるようではやはりアルファベット最初の文字からはじまる偉大なるモール様に依存した仕組みには限界を感じる。わかっちゃいるけどいまさら書き換えるのも面倒なのでそのままとする。あしたから五日間、夏休みをもらえたので第二幕を書き終えるつもりだ。そのつもりではいるのだが今夜は連休前ならだれしもそうするように飲んだくれている。下戸なのであした問題なく書けるかどうか怪しい。書けたところでだれも読まないのだから同じことではある。同じことではあるがやらぬよりはやったほうが自己満足できる。過去のごみファイルを漁っていたらこんな画像が出てきた。

『ぼっちの帝国』を書き上げたらこの手の画像をつくってgoogle広告を出すのもいいかもしれない。校正に十五万、広告に五万は出すつもりだ。出したところで自分しか買わないのはわかっている。二十万をドブに棄てるのだ。伊達や酔狂でやっている。どうせいつかは死ぬのだ。稼いだ金で何をしようが勝手だ。小説を書くようになってからこのかた自分の才能を疑ったことは一度もない。歴然と目に見えるものを疑うことはできない。だからといって才能と、作品の価値や完成度とはまた別の話で、これまでに書いてきたものがありのままで優れているなどと勘違いしてはいない。まぁ大概ゴミだ。『ぼっちの帝国』はこのまま意図したとおりに書き上げればゴミにはなるまい。見えるものに根拠などない。あるように感じているだけだ。客観的に存在しうるかどうかはまた別の話だ。作品の価値と社会的な成功にもまたいっさい関係はない。そこには世渡りの才覚が必要で、おれはそのいっさいを持たない。いっさい持たざれば社会的には存在し得ない。社会的には完全なる無能だ。そんなことはわかっている。自己満足さえできればよい。『ぼっちの帝国』は冒頭で落としてそこから持ち上げて持ち上げて、てっぺんまで上げたところで一気に奈落の底まで突き落とすつくりだ。落ちるところに差し掛かったのでしらふではつらくて書きようがない。去年の夏に『逆さの月』をやったときには、これは二十年前に横溝賞か何かの三次止まりだったものの改稿なのだが、下戸なのに700mlのジャックダニエルを二日で一本あけるはめになった。おかげで激太りして戻すのにえらい苦労をした。今度はそのような目には遭いたくない。酒の臭いをさせてジムに行くわけにもいかない。どうなることやら。とにかく九月中には書き上げることを目標としている。電子版はあとまわしにしてペイパーバックを先に出すつもりだ。できれば同時に他人の本も刊行したい。ペイパーバック版を出すのに利用している業者が複数著者への印税の配分に対応したからだ。というか連中はそのように主張している。期待すると決まって失望させられるので信用はしていない。他人に書いてもらうには印税以外にも金を出さねばなるまいが残念ながらその余裕はないのでおそらく夢想に終わるだろう。『ぼっちの帝国』と日記はおおむね五人ほどが読んでくれている。だいたい知り合いだ。『本の網』は検索経由でぼちぼち読まれている。特定のタイトルに閲覧が集中する。新しい本の記事を更新してもほぼ読まれない。本の感想から自著の購読につなげることができればと思うのだが現状は成功していない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
ぼっちの帝国