戸田 鳥

オードトワレ

連載第11回: 影絵芝居

戸田 鳥書いた人: 戸田 鳥, 投稿日時: 2019.05.14

「知り合ったのがこの店だから責任をとれって、ほら展示会でお買い上げのネックレス、あれを刻んでバラバラにしたのよ。奥のソファで。怖かった。刃物で刺しかねない雰囲気だったんだから」
 赤木は時計カウンターに隠れて、いつでも警察を呼べるように待機していたのだった。閉店時刻を大幅に過ぎて越田氏が帰ったあと、床に散らばった宝石をスタッフ総出で拾い集めたらしい。
「店長も弓恵さんも青くなってるわ。越田様を当てにして仕入れた商品が、全部在庫になるんだから」
 奥のジュエリー売場はさらに浮き足立っていた。弓恵だけでなく接客中の里沙まで疲れた顔をしている。余裕のなさが売場の空気を落ち着かないものにしていた。
「おはよう庄司ちゃん、ねえ今日はずっとこっちに入っててくれる。用事があるの」
 弓恵の表情も引きつっている。
「わかりました」
 見るからにピリピリした弓恵に質問する度胸はなかった。
 客が引いた隙に、里沙から状況を聞いた。店長たちは越田氏をなだめようとしたが問題が夫婦間のことだけに難しく、越田氏が落ち着くのを待つしかない。キャンセルされた商品をさばくための営業に必死だと。
「奥様はどうしてるの」
「さあ……あの状態では聞くどころじゃなかったわ。まさか離婚なんてこともないと思うけど。あの素敵な奥様が、あんな男とねえ」
 里沙も夫人には一目置いていたのである。
「仲のいいご夫婦だと思ってたのに。ひとってわからないものね」
 里沙がしみじみとつぶやいたところへ、客が入ってきた。若いカップルである。
「あ」
 男性のほうが冬花に気づき笑顔になった。冬花も思い出した。いつだったかプレゼントにブレスレットを買った青年だ。冬花が声をかけると、若いふたりは笑顔で視線を交わした。
「こんにちは」
「先日はありがとうございました」
 隣の女性が腕を上げて見せた。細いピンクゴールドの鎖が光った。
「よかった。とてもお似合いです」
「今日はペアリングを探しに来ました」
 青年ははにかみながら言った。彼女と手を繋ぎ、いかにも幸せそうである。暗くふさいでいたところに明るい日が射した気分だった。こうして喜んでくれる姿を見るのが仕事の喜びであったけれど、彼らの眩しすぎる輝きは冬花の胸に落ちる影をさらに色濃くした。

 呆れたことに、騒ぎから三日しか経っていないというのに、千葉はしれっと店に現れた。店長と弓恵が目をつり上げているのにもお構いなしで以前のように話しかけ(ほぼ無視された)、お茶を要求し(完全に無視された)、買物をした(しぶしぶ応対された)。越田夫人に関することを尋ねてもただニヤニヤと笑うばかりだった。店中が千葉に振りまわされているのが冬花には腹立たしかった。それでもこの混乱状態が落ち着けば、何事もなかったように千葉は一常連客としてのポジションに戻るのだろう。そういうものなのだ。
「えらい騒ぎだったらしいな、おい」
 千葉と入れ替わりにやって来たのは乾だった。立ち寄る日ではないのにと訝る冬花の前で、乾はポロシャツには似合わないジュラルミンケースをカウンターに置き、盗難防止の手錠をはずした。
「リフォームが全部キャンセルだって大慌ての電話がかかってきたぞ。それも夜中に。奥のやつらはまだ浮ついてるし」
「乾さんにもご迷惑かけてしまってすみません」
「いやあんたが謝ることはない。寝取られ亭主の言いがかりなんだから」
 不謹慎な物言いに冬花は苦笑いした。
「キャンセルになった商品を持ってきた。早いほうがいいだろう。手を着ける前でよかったな」
「わざわざすみません」
「まあそっちはついでで、本当の用はこれなんだ」
 乾が小さなケースをカウンターに置いた。バロックパールのペンダントトップだった。咲子の指輪のデザインを生かしたデザインだ。冬花は小さな歓声をあげた。
「クラシックな存在感が庄司さんに似合うな。しょぼくれてないで堂々としてなよ」
 見透かされるほど態度に出ていただろうか。それとも単に店のゴタゴタのことを指したのか。
「奥が浮ついてられるのは表に庄司さんみたいなスタッフがいるからだよ。影で支える守りの要だ。たとえばキャッチャーの……」
 続きは野球の話になってしまったが、冬花はお礼のつもりで付き合った。


学生時代より児童文学を学ぶ。長い休みをはさみつつ創作を続け、2014年より、Webサイト「note」にて作品を公開。代表作に『きゅーのつれづれ』『手品師の弟子』『にんぎょばなし』など。2019年現在『鳥の国のはなし』を連載中。愛読書はダイアン・セッターフィールド『13番目の物語』、谷崎潤一郎『細雪』。好きな作家は小林信彦、庄野英二、イタロ・カルヴィーノ。
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