D.I.Y.出版日誌

連載第194回: 独立出版とカセットテープ文化

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2019.
04.29Mon

独立出版とカセットテープ文化

独立出版インディ出版を実践する上で DIY ミュージックやカセットテープ文化が参考になりそうだと考えている調べるうちに R. Stevie Moore が Martin Newell のカバーをしていると知ったあるいは Martin の再評価を演出する企画であったのかもしれないこの二名にしても Daniel Johnston にしても似たようなことを何十年もずっとやってきてThe Velvet Underground や The Stooges が David Bowie によって再評価されたように商業的成功によってではなく影響を受けた若い世代による再評価によって世に知られるようになった部屋に閉じ籠もって地道に演奏し録音しダビングして自作の絵をつけて通販で売り多くのひとびとに影響を与えたわけだどうして同じことが出版でやれないのかなぜ DTP はそれを実現できなかったのかカセットテープで可能だったからには流通は問題にならない製本手段が存在しなかったのとカセットテープより高くつくのが理由だろうアルファベット最初の文字からはじまる大手モールのシステムがとりあえずは製本と流通の問題を解決した詳細は過去記事を読んでほしい)。 しかし大手モールに依存するのは何かと制約が多いできれば自室で印刷して製本して WordPress で受注し決済してもらって郵便局に持ち込んで発送したいそれが可能な範囲で書いて読んでもらいたい海外文学の読者は国内に三千人だといわれるそのせいぜい十分の一がちょうどいい数だろう三百人なら選りすぐりの優れた読者に届けられるそういう範囲で出版するのがいいA4 両面印刷で折をつくるアプリケーションとそれで出力した紙を製本する装置を同梱した商品はないものか趣味で出版するひとはこれからも増えるだろうし教育機関にも需要があるだろうしかし実在しないからには大手モールの仕組みを頼るしかない。 『ぼっちの帝国のほんの数行のギャグのためにサザエさんを調べていて Wikipedia で姉妹社の記事を読んだ印象的な文章があった。 「『サザエさんの出版が軌道に乗ると大手出版社から宣伝や装丁などのノウハウのある自社に任せてもらえれば更に売り上げを伸ばせるという打診を受け毬子は一時検討するがどうしても出したいが他で扱ってくれない作品が将来できた時のために姉妹社でのサザエさんの出版を続けたほうが良いのではとの考えに至っただそうな独立出版の元祖だというかそもそもが出版とはそのようにして行われるものだったのではないかこれもぼっちの帝国のわずか数行のために調べていて行き着いた文章だが角川源義が角川選書のために書いた文章にはこうある。 「しかし流行を追っての刊行物はどれも類型的で個性がない。 (マス・セールの呼び声で多量に売り出される書物群のなかにあって選ばれた時代の英知の書はささやかなを占めることは不可能なのだろうか。 (私はそういう書物をつぎつぎと発刊したい要するに大手出版社だってもともとの志はそのようなものだったわけだ大手出版社がソーシャルメディアと組んだ新人賞の広告を見ると十代向け青春アニメ風の動画がアイキャッチに使われていた彼らはケータイ小説に見た夢をいまだに忘れられないのだ自分が読みたい本を大手に期待するのはむずかしい時代なのかもしれないまだまだ読みたい本は多く出版されているのでそんなことはないかもしれないが街に出て書店にぶらりと入っても居心地の悪さにすぐ出てきてしまうことを思えば怪しいものだ正直あのなかに自分の本を置きたくないアルファベット最初の文字からはじまる大手モールにしてもそうでインターネットである以上どうしても客層に偏りが生ずるインターネットでいまもっとも発言力のあるマジョリティは 40 代以上の男性だそれも社会的に幅をきかせている偏った連中だそういう連中のために現代のインターネットはあり現代の出版はインターネットによって支えられているといって過言ではないから事実上現代の出版はそうした客層のために機能しているあなたが女性ならそこから疎外されるあなたが子供ならそこから疎外されるあなたがなんらかのハンディキャップを持っていればそこから疎外されるあなたの読みたい本は大手モールでは見つからない売られてはいても表示機会が制限されるでも本来書物はそうしたひとたちのためにあるのではないかそう考えるとこれからの出版はすべからく DIY カセットテープ文化や姉妹社のようなやり方をめざすべきだと思えるしかし出版には金がかかる。 『ぼっちの帝国では十年ぶりにようやく小説の書き方を思い出したまともな本にしたい数年前に調べたところによると鴎来堂に校正を頼むと最安値で一文字 0.6 円かかるといういまの生活ではひと月分の手取りの給料に相当する十年も書けなかったのはテキストファイルを分割するのが面倒になったからだと判明した一括置換で表記のブレなどを直したり原稿を印刷したりするのに章ごとに分割したファイルでは不便だったそれですべてをひとつのファイルに書くようになった一望できる文章量を知らず知らずのうちに書くようでひとつのファイルにひとつの物語を収めるにはどうしても中編が限界になる今回は諦めて十年前のやり方に戻したプロットも当時と同じくあらかじめ用意したそのために付箋を使った十年前は紙の付箋だったが今回は Mac のアプリケーションを利用したこの原始的なやり方が功を奏して感覚を取り戻した。 『ぼっちの帝国はほかにもいろいろと試しているFacebook で本好きにターゲットを絞って広告を出した毎日二十数名が訪れてそのうちひとりかふたりは数話分を読んでくれる文章のまずい回があってそこから先は読まれなかった文章を直したら読まれるようになったそういうことがわかるのもおもしろい気に入ったら広めてくれたらいいのだがすでに述べたように小説そのものがインターネットとは相性が悪い相性がいいのはマジョリティ向けのコンテンツだこちらのほうでもそんな連中に気に入られたいとは思わない客層は大事だ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。