戸田 鳥

オードトワレ

連載第2回: 子分

戸田 鳥書いた人: 戸田 鳥, 投稿日時: 2019.03.12

 叔母の勤務先は、冬花の通勤電車から眺められるところにあった。だから道に迷うことはなかったが、工場を併設した建物は予想以上に大きく、冬花は来客用の入口を見つけるのに手間取った。咲子の私物を引き取ってくるよう母親から頼まれていたのだった。
 届出の期日ででもあるのか、事務室の窓口には白衣や制服の従業員たちが列をなしている。冬花が気後れして壁際に退くと、中のひとりが列を離れて近付いてきた。
「事務室にご用ですか?」
 声をかけられて、冬花は目を丸くした。声とともにあの香りが降ってきたからだ。叔母と同じ年頃の男性が冬花を見下ろしている。ベージュ色のジャンパーの胸には社名の刺繍があった。男性はもう一度同じ質問をした。
「あ、はい」
 冬花は慌てた。叔母の名前を出すとその人は「ああ!」と叫び、また驚かされた。
「この度はご愁傷様でした。湯江さんと同期だった飯塚です」
 叔母がお世話に、と冬花が返すより先に飯塚は列に割り込んでいき、ほどなくして出てきた。
「すいません立て込んでて。総務の者が荷物をお持ちしますので、それまでお茶でも」
と、エレベーターのボタンを押した。
 昼前の喫茶室は空いていた。飯塚は缶コーヒーを買うと窓際の席を勧めた。貰った名刺には『営業部主任 飯塚陸也』とある。
「葬儀に来ていただきましたよね」
 匂いでわかります、とは言いかねた。
「ええ。咲さんにお別れができて良かったです」
 叔母の下の名が呼ばれたので、冬花は思わず相手の顔を凝視した。
「入社してしばらく同じ部署だったので、ずっと親しくさせてもらってました。僕のほうが年下なので、子分みたいだと周りに言われて。咲さんは姉御肌だったから、同期でも年下の僕は彼女に教わることが多かったんです」
 五人兄妹の一番下で、甘えっ子だったという叔母が親分扱いされる姿はぴんと来なかった。彼女がいかに頼もしかったかという話を聞かされているところへ、総務課長だという女性が紙袋を手に入ってきた。
「この度は急なことでお力落としでしょう。私どもも非常に残念です。咲さんは皆に好かれておりましたから」
 訝しげな冬花に、飯塚が説明した。
「入社した頃、由井さんて先輩がいましてね。紛らわしいでしょう、由井さんと湯江さんじゃ。それで後輩の咲さんを名前で呼ぶようになったんですよ」
「ああそれで」
 冬花は内心がっかりした。
 受け渡しのサインをすると総務課長は戻っていった。紙袋には衣類と、花柄のポーチが入っている。そのカーディガン、と飯塚が指をさした。
「彼女の昇進祝いに部署の皆で贈ったものですよ。休憩時間にはおっていました」
 飯塚の表情に懐かしさとは別の影がさした気がして、ふいに気持ちが緩んだ。目が潤んできたのを隠すように立ち上がると礼を言った。
「いやいやとんでもない」
 飯塚が冬花のために喫茶室のドアを開けたとき、その腕がふと目についた。
「時計、止まってます」
 冬花がついと発した言葉に「え」と飯塚が腕を引っこめたので、支えられていたドアがごつんとその肩にぶつかった。
「ほんとだ。朝は動いてたのに」
「いい時計ですね」
 高級ブランドではないが、以前人気だった老舗メーカーのモデルだ。
「汚れててお恥ずかしい。兄からもらった時計でしてね。古いし傷だらけで。もう必要ないかもしれないな。スマホのほうが正確な時間がわかりますからね」
「もったいないです。頑丈で精度の高い時計なのに」
 冬花は真面目に言った。
「スーツにはやっぱり腕時計があったほうが様になります。男性にとっては数少ないアクセサリーですから」
 急に饒舌になった冬花を飯塚は面白そうに見た。
「なるほど。確かに兄貴にも怒られました。乱暴に扱うなってね。これは奮発して買ったんだぞって」
「すみません! お客様でもないのに」
「いやおっしゃるとおりです。直してまた使いますよ」
「ベルトも洗えばピカピカになりますよ。あの、もしも」
 冬花は勤務先の名刺を差し出した。
「近所に来られることがありましたらどうぞ」
 その時、ドアが開いてどやどやと白衣の男たちが入ってきた。休憩時間になったのだろう。冬花と飯塚は廊下に出て別れの挨拶をした。去り際にまた青葉の匂いがして、まだ聞くべきことがあったと振り返ったが、にこやかに見送る飯塚に尋ねる言葉が見つからず会釈して立ち去るしかなかった。


学生時代より児童文学を学ぶ。長い休みをはさみつつ創作を続け、2014年より、Webサイト「note」にて作品を公開。代表作に『きゅーのつれづれ』『手品師の弟子』『にんぎょばなし』など。2019年現在『鳥の国のはなし』を連載中。愛読書はダイアン・セッターフィールド『13番目の物語』、谷崎潤一郎『細雪』。好きな作家は小林信彦、庄野英二、イタロ・カルヴィーノ。

連載目次


  1. 陽春
  2. 子分
  3. Customers
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