妄想中年日記

連載第183回: つながらない誌面

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
03.11Mon

つながらない誌面

一月末からほぼ毎日といっていいペースで何かしら書いて公開している。『ぼっちの帝国』はせいぜい二、三人といったところだが日記は七、八人に読まれている。三年前は私生活を監視して揚げ足を取ろうと群がる輩ばかりだったがいまはほぼそんなことはない。エゴサーチしても誹謗中傷も殺害予告もヒットしない。ありがたい話だ。読んでもらえるなら日記だろうが雑文だろうがエッセイだろうが随筆だろうが何でも書く。読まれない文章は書かれないのと同じだからだ。純粋に自分のためだけに書いたヘンリー・ダーガーを尊敬する。どれだけ仕事を積み重ねてもいないのと同じなのはつらい。三つ数えて指を鳴らしこの世から消滅するのを本気で夢みている、それは嘘ではないのだけれど不器用すぎて指を鳴らせない。いたことをどこかに記録せずにはいられないし、そのためにわざわざサーバーを借りてドメインを契約し、こんな糞の役にも立たない文章を垂れ流している。他人がお膳立てしたウェブサービスを使わないのは信用できないからだ。連中はソーシャルなマウントゲームが金になることを熟知していて加害者にばかり肩入れする。著名人とその取り巻きに誹謗中傷された無名人はいくら人権侵害を報告しても相手にされない。ほんとうはアルファベットの最初の文字ではじまる偉大なるモール様にだってかかわりたくないが、現状はほかに方法がないので依存せざるを得ない。こんな人間は潜在的にはむしろ多数派なのではないかと思う。おれは異常ではあっても特別ではない。どちらかといえば凡庸なのだ。そして凡庸な言葉はあるいはもしかしたら自分はひとりではないと感じさせ、ひとりで生きる力を与えてくれるのかもしれない。小説よりもエッセイ、随筆、雑文の類いを近しく感じる気持はわからぬでもない。フィクションの物語は結局のところ何かが起きる。実際の人生は何も起きない。だれからも必要とされないし何も成し遂げない。そういうものを読んで励まされるということはあるのかもしれない。ひとりではないと勇気づけることで個/孤である人生を肯定するのが、あるいは個/孤である人生を肯定することでひとりではないと勇気づけるのが本の役割であるならば、そういう役に立つのが子どもの頃からやりたかったことだ。欺瞞をあえて肯定すればそれこそが指を鳴らせない不器用さでもある。そして考えてみれば随筆、エッセイ、雑文といったものを子どもの頃のおれはそれなりに愛していた。この二十年ばかりは日本語で書かれて出版される小説の大半に、まったく相容れないものを感じることが多くて翻訳小説ばかり読んでいるのだけれど、昭和末期から平成初頭にかけては、幼すぎてあらゆる物事に鈍感だったせいか、そのときどきで人気のある本を素直に読んでいたように思うし、その時代には北杜夫や椎名誠や中島らもの小説ばかりではなくエッセイもまた愉しんでいた。素人のブログやソーシャルメディアの大喜利に滅ぼされる以前、1990年頃の日本ではエッセイやコラムといった文芸形式が大いに人気だったのだ。米原万里さんの仕事をほとんど知らないのだけれど『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』の二冊には強烈な感銘を受けたし(いずれちゃんと読み返して「本の網」に書きたい)、彼女は一般的にはエッセイストとして認知されているようだ。中島らもは『ガダラの豚』(「アル中はアル中であるが故に強い」という自己正当化は『Pの刺激』でぱくらせていただいた)よりもどちらかといえばその数年前に新聞に連載されていた『明るい悩み相談室』のほうが好きだったし、美食にも釣りにも縁がないので開高健の随筆は読めないものも多いが、数年前に小説をいくつか集中的に読んだときに随筆のほうも少しは読んだ。そういった作家の顔ぶれを思い浮かべてみれば小説が読まれなくても不平をいうべきではないような気もする。余技、と呼べばもしかしたら彼らは小説と同様の情熱をもって書いていたかもしれないので失礼に当たろうが、おれには小説のほうが強烈な手段に思えるのであえてそう呼んでしまうと、そうした日常の諧謔もまた作家の言葉なのだ。もちろん自分を彼らと同列に扱うつもりはない。そういう話ではなく単にそういえばもともと好きな書き方ではあったのかもしれない、と考え直しただけの話だ。同列に並べるというので思い出したが、もしあなたが人格OverDriveの仲間になって一緒に誌面をつくってくれたら開高健や米原万里と(後者はまだ取り上げていないけれど)、もっといえばピンチョンやらナボコフやらと同列の扱いで作家一覧に並ぶのだがいかがか。おもしろそうだと思いませんか。数年前に試したときは登録を容易にしてしまったがためにセキュリティの問題でひどい目に遭ったので、もし今後外部から招くのであれば作家としての活動実績と読書傾向で、つまり優劣ではなく個人的な好みとサイト運営上の都合で選別させていただくだろうし、そのために大半は既読無視の扱いにならざるを得ないけれど、まぁ仕組み上は可能だよということで。なぜそんな仕組みを用意したのかは昨日も書いたけれどうまく説明した気がしないのでいずれまた機会を改めて書く。ついでにいえばおれにできることはだれにでも可能なので気に入ったら真似していただいて構わない。出版がおもしろくなれば人格OverDriveが関わろうと関わるまいとどうでもいい。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。アヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される独創的な作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
amazon