D.I.Y.出版日誌

連載第180回: ただ書くためだけに書いた話

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2019.
03.09Sat

ただ書くためだけに書いた話

90 枚まで書いたきょうは三時間ほど確保できたが体力がない執筆よりジムを優先した結果として小説は進まなかったがどうせ自分しか読まない労せずして書ける上に比較的読まれやすい日記でお茶を濁すことにした筋トレと同じでこんな文章でも毎日休まずに書けば力になる何も書けなかった今日が書けるあしたにつながると信じたい今夜は前回にひきつづきいま試みていることについて書く出版はウェブメディアと融合し不可分となりつつある現在のウェブはソーシャルメディアが優勢に見える衝動とマウンティングのゲームだ巨大モールの表示アルゴリズムと相性がよくそこに読書の幸福な将来は見いだせないしかしもしかしたらいずれ廃れるのではという気が最近はしている少なくとも利用者層は明確に分かれるだろう衝動よりも時間をかけて考えるもの個/孤を志向するものが読まれるようになる従来の書籍と雑誌に近いかあるいは同質の体験でありおそらくは検索流入にも似ている個人の嗜好を反映した関連付けによる検索に似た何かそうしたものが広く使われソーシャルメディアは現在のテレビの位置づけに零落する現在のテレビと親和性の高い層を主な利用者とするレガシーな世界となって併存するいま現在テレビとインターネットあるいはテレビと紙の書籍が併存するようにたぶん今後三十年のあいだに孤独であることの価値や意味づけが大きく変わる。 『ぼっちの帝国はそれを主題とするのだがそれはともかく個/孤の価値が広く意識されるようになると同時に嗜好に基づく世界の編集がインターネットの動線/導線の主流となりそれは当然メディアの大きな潮流にもつながるだろうそのときウェブメディアはかつての雑誌にも出版社にも相当する社会的な装置となるそこでの文脈の生成すなわち棚づくりあるいは嗜好の関連付けによって著者とその作品群が見出されるepub やプリントオンデマンドやあるいはもっと新しい媒体がその末端の出力装置となり集客手段ともなるそしてまた本体が末端の集客装置ともなる)。 エコシステムを含めた出版のありようが根底から変わり旧来の概念も流儀もまるで意味をなさなくなるので企業としての出版社は自然と解体され何か別のものたとえば現在のテレビの位置づけとなるソーシャルメディアなどに吸収され個人による緩やかな共同体が代わってその主役となるたとえば藤井太洋さんは新時代の作家というよりも旧来の出版の最晩年にかろうじて滑り込みで間に合った最後の世代だと思うしこの件については気が向いたらいずれまた機会を改めて論じたいがさておき人格 OverDrive はいずれ当たり前になるべきものを志向する最初期の動きのひとつにはなり得ると思う問題はボランティアベースではどうにもならぬことだ数年前の失敗で身に染みたたぶんこの文章を読んだ大半の方が想像するのはいますでに陳腐なものとして存在する仕組みや発想や考えでおれのいいたいのはそういうことじゃないそれは実際にサーバ上にあるのだが書き手を雇う金がないさしあたりぼっちの帝国でうまく立ちまわりたいがいまだ嗜好が排除されたストア表示とソーシャルなマウントばかり優勢の現状では指を咥えるかのごとくに尻尾を咥えて堂々巡りするしかないあしたの勤務時間に向けてちょうどいい時間調整ができたこの辺にしておく


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。