妄想中年日記

連載第171回: あなた自身であるために

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
02.12Tue

あなた自身であるために

BuddyPressの扱いにまだ悩んでいる。要は読者の側に立って「読まれるべきたくさんの本」を見せるか杜昌彦の直截な販促として「この文章を書いている著者」を見せるか。後者を採るのであればトップページをプロフィールとし、そこからアクティヴィティを見せるなり記事一覧を見せるなりすればいい。その線で進めるなら本の紹介や著者一覧といった概念はそぐわない。単体ユーザで運用するかぎりはシンプルに杜昌彦の思考と成果物だけを提示するサイトとなる。しかしもし仮に人格OverDriveの最終目的が杜昌彦の販促であったとしても(実際にはそれだけのつもりは決してないのだが)、そのエコシステムに頼らざるを得ないストアの客層が極めて悪い。というよりも極小出版を可能にしたインターネットそのものが読書と相性が悪く、その問題をまず先に改善しなければ望ましい読まれ方をされない。これまでくりかえし述べてきたように読書とは対極の「ニーズ」に基づいて「そのひと自身であること」を排除し淘汰するのが現在のソーシャルなインターネットである。それは刹那的であり中央集権でありひとりひとりの事情を侮り軽んじるものであり先例と決めつけによる型紙に基づいた消費である。批評家気どりと批評家の違いは読む能力にある。現代のソーシャルなインターネットでは最低限の能力さえ持たぬほうがむしろ有利に立ちまわれる。「わかりやすい」からだ。ソーシャルなプロトコルで正当と認められれば二次加害者が群がり、数が正当性を強化する。そのようにして個々の事情すなわち本を本たらしめているものは排除され淘汰される。そうした同調圧力に抗うのが出版であり読書である。そのための試みとして人格OverDriveを捉えるならば杜昌彦の活動フィード提示を主体としたUIは排除せねばならない。2017年にサイトを再構築した際、読者と書き手単体のどちらに立つかで前者を選んだ。にもかかわらずUIに迷いがあったので批評家気どりの無能に粘着された。さまざまな読書の文脈があり、その網の目の結節点として本がある。そのひとつとして自著があり、書いた人物としてあるいは質の担保(ブランド)としての杜昌彦がある。そうした網の目を担保する見せ方あるいはブランドが人格OverDriveである。そのための適切なUIを確立したい。さしあたりBuddyPressのコードは取り除くつもりだ。その上で可能であればサブスクライブを導入するのも手かもしれない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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