妄想中年日記

連載第166回: 未来をふりかえる

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
02.05Tue

未来をふりかえる

昨夜はこれまで影響を受けた作品を『ぼっちの帝国』のために再読、再視聴している話を書いたが肝心な作品を忘れていた。『アパートの鍵貸します』だ。一年に一度は必ず観るようにしている。どのくらい好きかといえば生まれ変わったらあの映画になりたいほどだ。ああいう作品を書きたいのでもジャック・レモンに憧れるのでもなくあの映画になりたい。それくらい『アパートの鍵貸します』の何もかもが好きだ。映画そのものにはなれなくても今回はほんの少しだけ近づけそうな気がしている。好きな作品には何かしら共通点があるもので『フィッシャー・キング』からの流れで『未来世紀ブラジル』を観なおしたところ『アパートの鍵貸します』を思わせる場面が多々見受けられた(この映画にはほかにもポチョムキンの階段などさまざまな古典からの引用があるようだ)。テリー・ギリアムはあとにも傑作をいくつも撮ったけれど『未来世紀ブラジル』は文句なしに最高傑作だ。モンティ・パイソンの延長線上にありながらもいま観ると意外にハリウッド式アクション映画の方法論を矛盾なく取り込んでいる。奇怪なレトロフューチャーもまったく古びていない。しいて難癖をつければヒロインの造形だけよくわからない、そこだけはハリウッド式の語り口を消化できなかったかのようだ。『未来世紀ブラジル』とティム・バートン版『バットマン』は双子のようによく似ている。どちらも単純で勇ましい「わかりやすさ」への懐疑であり、可視化されにくいものを可視化する方法論としてのお伽噺だ。阪神淡路の震災とオウム事件をきっかけに、多様な視点よりも勇ましい単一の「わかりやすさ」をひとびとは求めるようになった。時間をかけてさまざまな立場を考えるよりも紋切り型による一瞬の反射が正義とされるようになった。その醜悪な帰結が、広告代理店が差別主義者を大統領にまで仕立て上げるソーシャルメディアだ。そんな時代にあってそれでもなお書くのであれば原点に立ち返る必要があると思うし、そのための流れで次は『暗闇のスキャナー』を読み返したくなっている。あれを読んで泣かぬのであれば人間として何か大切なものが欠けているとさえ思う。そういったものを書きたいともつねに考えていて『逆さの月』ではある程度やれたと思うし『ぼっちの帝国』でも後半はそのようにするつもりだ。しかしいま学ぶべきは『未来世紀ブラジル』や『暗闇のスキャナー』のようなファンタジーではない。どちらかといえばリアル寄りの喜劇だ。そしてその喜劇は恋愛を題材とする。そういう意味では『ブラジル』よりも『アパートの鍵貸します』がお手本になる。なぜいまフィクションの手段としての恋愛に関心があるかといえばその概念をとても奇妙に感じるからだ。おれはだれからも愛されたことがないし他人と関わることには苦痛しか感じない。それを異常に思わないばかりかそもそも恋愛をする人間のほうがむしろある種の畸形なのではないかと考えている。コンビニもAmazonもストリーミングメディアも存在しなかった時代にはひとりで生きていくのが困難で、家族を形成するのが当然と見なされていた。そう見なされるだけの理由や根拠があったからだ。そうした時代においてはだれもが自分を偽って無理に他人にあわせて暮らさねばならなかった。しかし人間の不幸とは他者との関係性において生じるもので、だれともかかずらわずに済むほうがずっと自然かつ幸福に生きられるのではないか。にもかかわらず地上にコンビニもAmazonもストリーミングメディアも存在しなかった時代があまりに長すぎて、人間はつがいを形成し子孫を遺すのが当然、という考えがあたかも永久不変の法則であるかのように定着していまさら変えられなくなってしまった。だれもが立派な人格者であれば問題も生じまいが実際にはおれの両親のような気違いもいる。支離滅裂な狂った家庭でまともな人間は育たない。伝統的な価値観、家族の絆やらつながりやらを妄信させられていればいびつな人間であるままに家庭を成し、パートナーをいびつに扱い、いびつな子孫を量産しつづけるだろう。そうした悲劇がなくならないのは恋愛を実際に行うごく一部の特殊なひとたちが、そのミュータントめいた感覚をあたかも正常であるかのように喧伝して強固に制度化したからではないか。自由恋愛が制度化されたのはごく近年になってからだとか、こんにちのように商業化されたのは90年代以降だか、そういう議論はすでにありふれているだろうが、『ぼっちの帝国』で書きたいのはそのさらに先だ。これまで正しいとされてきたことの大半は実際には多くの人間にとってどうでもいいことなんじゃないか。そこから自由になればそこそこ幸せになれるのではないかということだ。現代の娯楽作品はあまりそうした「わかりにくい」方法論を採用しないので過去の作品から学ぼうとしている。もちろん過去がよかったとは思わないし同じことをやるつもりもない。温故知新、という言葉だってあるじゃないか。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
amazon