杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第160回: 第四夜

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
01.30Wed

第四夜

寝る前や出勤前のわずかな時間を捉えてお筆先を垂れ流す訓練も四夜目となった。ジム通いと同様に案外平然とつづけられるのに自分でも驚く。さてこれまでは巨大モールが提示する導線はすべからく客筋が悪い、かといって現代の出版業界において必須とされるソーシャルメディアでの営業もまたマウント合戦の場でしかなく、まっとうな読者はきわめて少ない、むしろ鵜の目鷹の目で毀損せんと狙う輩ばかりというところまで語った。棚づくりから感性が排除され無難な画一化が推し進められた結果、書店での偶然の出逢いをほぼ期待できなくなった現代において、残念ながら読書への導線はすでに述べた以外にない。すなわちランキングや関連づけといったモール内表示と名刺配りとソーシャルメディアである。軍隊が護るのが市民ではなく軍隊の組織のみであるように、顧客第一主義を謳うモールも実のところ求めるのはアルゴリズムによる効率的な利益の最大化のみであって、読書や嗜好のように個別の事情に寄りかかった、非効率で汎用性のない文脈など一顧だにされない。むしろ商売を妨げるので積極的に殺菌脱臭され排除される。そうした力の支配する場において読書や嗜好を求めるのは無理筋で、下手に近づけば散々な目に遭うのは昨夜述べた通りだ。ではどうすればいいのかというのが本題で、無論正解はない。無闇矢鱈めくら滅法の試行錯誤があるのみだ。思いついたら何でもやってみる。これまでに得られたわずかな希望は検索流入だ。本の感想が積もるほどに微増する。読書の価値を知るひとに自著を手にしてもらう可能性がわずかなりとも増えたわけだ。次に有望なのは読書家を対象にした広告で、書評サイトに露出するのはある種テロのようなものだが長期的にはありなのではないかと思う。いかにソーシャルな場でも露出を金を出して買うにおいては絆もつながりも無縁である。問われるのは広告の技術でしかなく、それは世渡りの才と異なり努力によって習得可能だ。下世話で悪辣な人間にならずともやれるのである。一度ページにいいねしてもらえれば理屈の上では人目に触れる機会が増える。売上にまぁまぁ直結するのはモール内広告でこれまた要するに表示機会を金で買うわけだが、何しろ彼らは商売第一主義でアルゴリズムの乱れはいささかなりとも許さない。気取られるとどうも調整が入るらしくある日を境に急に表示されにくくなったりした。どの程度影響したかはともかくそれらの広告を出していた時期は月に三千円は売上があった。投下資本は月に一万五千円である。阿呆らしいのでその金でジムに通うことにした。おかげでふた月で脂肪を三キロ落とし筋肉を一キロ増やしたので正しい判断だったと考えている。もうひとつささやかなりとも手応えを感じたのは印刷版だ。それこそ名刺代わりに配れる。職場にも数冊ストックしておき飲み会にも持ち歩いて、読んでみたいとお義理でいわれたらこれ幸いと押しつける。なかには実際に読んでくれるひともいるのでばかにならない。そこから口コミが広がるようなことは決してないのだが読者は皆無よりひとりでも多い方がいい。検索流入、広告、印刷版。いずれも地味な積み重ねでさしたる成果にはつながらない。ならば次の一手は、というところで時間がきた。また明晩に語ろう。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告