世渡りに自信がなければソーシャルメディアから遠ざかるに越したことはない。 多くのひとが憧れるような職業に就いているとか、 著名人の家族がいるとか、 変わった場所に住んでいるとかいった特別な暮らしをしているのでなければ、 書き手は私生活に言及しないほうがいい。 アクセス解析を見るかぎり本の感想には脇目も振らずアクティヴィティだけを毎日、 日に何度も見に訪れる輩がいた。 読書と出版のサイトをわざわざ訪れながら本の記事ではなく他人の私生活ばかり閲覧するのは貶めるためとしか思えない。 そのことについて言及したとたんに閲覧数が不自然に増えた。 旧筆名時代からの粘着者がどこかで何かを言いふらしたのはまちがいないと思えた。 後ろ盾のない無名人はインターネットではしばしばそのような目に遭う。 これまで数えきれぬほど経験がある。 書き手の私生活と小説の内容とを (おそらく意図的に) 取り違えられ、 実際とまったく異なる筋立てであるかのような誤読を誘導するレビューを投稿されたりした。 娘を亡くした経験をもとに書いた大切な詩を、 自己愛的な粘着者から 「私の作品」 などと勝手に呼ばれ、 そいつの妄想に感銘を受けて書いたかのように言いふらされる 『淡い焰』 の詩人がひとごとに感じられない。 あるいはわがキンボート諸氏には本当に小説を読む能力がなかっただけなのかもしれないが (後述する当時の状況からはありうる話だ)、 いずれにせよ筆名やドメインを変えて再出発したのはそのような変質者たちにつきまとわれたせいもある。 だれとも関わらずひっそりやっていたのに嗅ぎつけられた。 現代の焚書はそのようにして官憲の手によらず 「善意」 に満ちた一般市民によって行われる。 ソーシャルメディアは生け贄をつねに求めている。
黒船来航当時、 キンボート (の劣化版) のようなウェブメディアしか紹介者がなかったことはこの国の電子出版にとって悲劇だった。 小説を読むのは労力や経験や理解力を要する。 現代のキンボート諸氏は小説を読む能力に致命的な欠陥がある一方で、 何がソーシャルメディアで喜ばれるかを熟知している。 被言及度に基づく評価経済において金を生むのは話題として消費しやすいネタだ。 ウェブにおいてはそれこそが唯一絶対の価値であるため 「ストアにこんな奇妙な商品がある」 といった取り上げ方しかされない。 劣化キンボート諸氏の 「わかりやすい」 価値観においてはゴミであるほど (ソーシャルな話題になるので) よい本であることになり、 読書のありようは致命的に歪められる。 のちに大手により再出版され北上次郎が絶賛した世界文学的な傑作ですら、 2013 年当時は的はずれなレッテルを貼られ、 卑俗なキワモノであるかのように貶められた。 風向きが変わったのは KU 開始以降だ。 初期こそ 「素人のゴミばかり」 と不評だったが、 大手出版社の努力によって読める本が増え、 加入していれば気軽に試せるため大手による出版物と遜色ない自主作品も知られるようになって、 ストアの表示は徐々に改善されはじめた。 「遜色ない著者」 がきわめて限られている (実質ひとりかふたりではないか) ため現状はまだ偏った表示に見えるが、 少なくとも 「ミステリー・サスペンス・ハードボイルド」 の有料ランキングに限っていえば粗悪な本を見かける機会は以前より減った。 実力のある著者にストア側が適正なてこ入れをしている様子もうかがえる。
おすすめの精度もまた体感的には改善されつつあるように感じる。 フリオ・リャマサーレスやバルガス=リョサが電子書籍で読めることを、 以前は粗悪な本ばかり並んでいた表示領域で知った。 記事作成のためストアの閲覧機会が増えたことや、 図書館に通う余裕がなくインターネットで購入するようになったのが直接の原因ではあるだろうが、 大手出版社によって電子化される書籍が増えた影響も否定できない。 元年から八年、 黒船来航から六年。 遅々たる歩みではあるがストアへの不満は徐々に解消されつつある。 自著の商品ページにはげんなりさせられるし、 アクセス解析を見るかぎり変質者にもいまだつきまとわれているようだが、 大手ストアの仕組みに頼るからにはそうした弊害は避けられまい。 またストアを利用して本気で商売をしている著者の側にとっても、 商材であることを第一義としない出版を同じ場所で行われるのは目障りなことだろう。 ゆくゆくは出版も棚づくりも販売も人格 OverDrive のウェブサイト内で完結させたいと考えている。 素人でも簡単に利用できる電子取次があればいいのだが、 現状はアフィリエイトリンクやストアの出版サービスを利用するほかない。 劣化キンボートよけの対策として、 とりあえずアクティヴィティは自分にしか見えない設定にした。 URL を指定して訪れると本の一覧ページへ飛ばされる。 挙げ足とりの監視なんかするより小説を読めという意思表示のつもりだ。 本を読む能力に欠陥のある自己愛者にはもちろん理解できまいが、 大切なのは他人にどう思われるかではなく自分がどうしたいか。 人格 OverDrive は読んで書いて出版する。 くどいようだが Kindle という単語が何を意味しようとも原稿は燃えないものだし、 ただ後をつけてきた能なしから作家はいつだってはみ出しているのだ。