妄想中年日記

連載第147回: 子どもたちは騙せない

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
09.19Wed

子どもたちは騙せない

音楽は音源の無料配布か定額配信で知られ、共有されることで集客して公演のチケットや物販で稼ぐ。会社と契約してもレコーディング費用や広告は自分でまかなわねばならない。メリットがないので自主制作でやったりする。出版ではどうか。広告はすでに著者自身のソーシャルメディアスキルに依存している。新聞の書評も広告も年寄りしか見ない。テレビ広告や番組とのタイアップなどはこの国では実験的な取組でしかないし、テレビで知って購入するような客はそもそも本をまともに読まない。企業にはもはや著者を護る力もない。自己責任でどうにかしてくださいというスタンスだ。そもそも厄介が生じそうな著者には仕事を頼まない。保守的な価値観に基づく炎上マーケティングやそれを社内から批判してみせるマッチポンプをあえて狙わないかぎりは。編集者のスキルはひとによるし相性にもよるだろうけれども組織の制約が強まる一方で、それゆえに期待できない。そのように考えればやはり企業と関わるメリットは薄く、むしろデメリットさえ感じる。

校正校閲、装幀、編集、オーサリング、広告は自分でやるかそれぞれの専門家に外注できる。しかし物流は現状、Amazonに乗っかるしか手段がない。BCCKSのようなマイナーな場所で収益を得た例もあるがソーシャルメディアでの成功の回収手段にたまたま選ばれたにすぎず、商売の場は実際にはBCCKSではなくtwitterだった。楽天の客層は保守的であるため電子書籍やプリントオンデマンドと相性が悪い。iBooksはストレージを占有するファイルを個別に売るiTunesという土管自体がSpotifyのようなストリーミングサービスによって陳腐化してもう何年も前から負け組だ。Amazonはアルゴリズムに致命的な欠陥があり理想からほど遠いが実用上ほかに選択肢がない。彼らは売れたものと専売商品を優遇するので専売商品が一極集中になりやすい。そのためたまたま売れた本はゴミでも売れる。一般的な著者は月に数万から十数万は稼ぐようだ。ストアに最適化された著者なら月に数十万は収益を得る。これはソーシャルメディアとAmazonのアルゴリズムに適性がある例で参考にならない。すでに知られていなければだれにも知られないのでは堂々巡りだし、その理屈を受け入れるのなら電子版をAmazonで専売にするのも企業から本を出すのも同じだ。販売実績をもとに効率化するのが彼らの仕事で、作家の仕事は必ずしもそうではない。書かれていることも読むという行為もきわめて個人的な体験であるために、小説は本来ソーシャルメディアやAmazonのアルゴリズムとは相容れない。そしてそれこそが企業とかかわらずに出版する主な理由となる。

プリントオンデマンドは音楽でいう物販にはなり得ない。原価が高いので利率も低く抑えざるを得ない。それでもオフセットの安さには遠く及ばない。自分で買って名刺代わりに配るのが主な用途となる。職場の抽斗にしまっておいたり、飲み会に持参したりすれば話題に出たついでに手渡せる。必ずしも読まれる必要はない。電子版ではこれができない。いくら無料配信でも読書に至るまでの障壁が高すぎる。読み方や買い方を学習し、アカウントを作成して購入し、アプリをインストールする。クレジットカードも必要だ。そこまでして読書環境を整えてもコンテンツはかぎられていてほしい本の電子版は存在しない。自著のためだけに他人にそこまでの労力は要求できない。しかし名刺は名刺にすぎず音楽でいう物販にも、無料配布やストリーミング配信にもなり得ない。対面で配れるメリットしかない。社交的な人間であればさまざまな集まりに顔を出して配るのだろうけれども、そんなスキルがあればソーシャルメディアで電子版を配るほうが早い。あるいはブログやYouTubeで書評でもやればいい。しかしそんなスキルがあればそもそもtwitterで充分だ。その場合の出版はあくまで換金装置でしかない。ソーシャルメディアでの活動を主体としあくまで人気を金に換えるのに出版を使うことになる。そんなことをやるなら出版である必要はない。もっとい効率のいい手段がほかにあるだろう。

Kindle Unlimitedのような読み放題やプライスマッチによる無料配布はどうか。これもすでに述べた理由で敷居が高すぎる。敷居を乗り越えて集まるのは筋の悪い客が大半だ。なかにはしっかりと読んでくれる客もいるので有用ではある。しかし音楽でいう無料配布やストリーミングのような集客にはなり得ない。もし仮に相当するとしてもマネタイズはどこに求めるのか。プリントオンデマンドはその役には立たない。公演や物販に相当するものがない。実をいえば物販は、ごくごく小規模な実験をしたことがある。小説の登場キャラクターをTシャツやマグカップやスマホケースにした。残念ながらウェブサービスに依存せざるを得ず、運営会社の信頼性に左右されて使いものにならなかった。公演はどうか。かつて有志を集めて実施する計画があった。対バンのような朗読会やそこでTシャツやキーホルダーなどを売る案だ。しかしウェブ上での小規模な実験でさえ悪質な攻撃が多すぎて断念せざるを得なかった。大勢を巻き込んだ実験の中止は猛烈な批判を招いたが、その際の人格攻撃そのものが危険の証左であったし、数年後にソーシャルメディアの有名人が刺殺された事件を知り、杞憂ではなかったと実感した。協力者を身の危険に晒してまでやることではない。

二十年前『逆さの月』のもとになった習作を読んだ編集者たちには「こんな子ども騙し」ではなく「少年犯罪者が制裁される話」や「若い女性が活躍する爽やかな青春もの」を書きなさいと諭された。それが「大人の読み物」なのだという。商売なら販売実績のある企画を踏襲するのが当然だしそのような判断ができなければ組織で働けない。当時は従うしかなかったがそのような出版には経済的な価値しかない。小説の意義は必ずしも金ばかりではない。黒船の来航は企業論理をアルゴリズムが極端なまでに効率化しただけだった。人権感覚に問題がある本ばかりが幅をきかせているのも、個別にはゾーニングの問題であるかもしれないが本質はそれをよしとする価値観が出版において、企業側でも消費者側でも常態化していることが根底にある。グーテンベルクの時代にはひとを救う言葉を広めるはずだった出版は、今世紀において偏見や暴力に荷担するものに成り果てた。epubやプリントオンデマンドが可能にした極小出版は立ち現れた当初こそ、そうした風潮へのカウンターカルチャーとなるかに見えた。長いあいだ聖職者が独占してきた言葉を市民へ広めるきっかけとなった活版印刷さながらに、言葉に自由を取り戻す手段となるかに見えた。電子出版もプリントオンデマンドも現状そのようには機能していない。しかしこれまでになかった手段を出版が得たことまでは否定できない。可能性はまだ棄てきれまい。『逆さの月』をどう感じるかはあなた次第だ。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。