妄想中年日記

連載第146回: 夏の終わりに

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
08.29Wed

夏の終わりに

『逆さの月』はきつかった。「帰宅したら書かなければいけないから仕事があってよかった」と考えたほどだ。若い頃は小説を書くと三キロくらい痩せた。今回は逆に肥った。しらふでは書けなかったからだ。下戸なのに平日でも700mlを二日で一本あけた。休日なら朝起きてまずジャックダニエルの瓶に手を伸ばした。全体の調子を整える作業に入ったので客観的に読み返すためにも他人の本を読みたい。本はSpotifyがおすすめを紹介してくれるけれど本はそうもいかない。Amazonのアルゴリズムが役に立たないからだ。かといって街の書店も役に立たない。取次が決めた書棚を見ても惨めになるだけだ。ポール・オースターの新刊が来月らしいけれど原著のレビューを読むかぎりでは「悪いほうのオースター」のようだ。

出版に向けた段取りを考えはじめたところでCreateSpaceがKDPに統合される旨のメールが届いた。いい報せは口座で報酬を受け取れるかもしれないことだ。これまでは米国に口座を開設しないかぎりは小切手での支払いしか選べず、小切手は換金に五千円ほどかかると聞いていた。これまでにジャックダニエル二本分は稼いだので運がよければようやくその分が飲めるかもしれない。悪い報せはKDP Printは日本語に対応していないということ。つまり既刊は編集できなくなるだけでこれまで通り販売できるものの、日本語の新刊は出せなくなるということだ。CreateSpaceと米国KDPの両者に問い合わせたが見込みは薄い。仕方がないので米国KDPの設定をした。2012年はEIN、その後TINが必要になって「みなし事業体」としてEINを入力した。今回は日本の個人番号を入力した。

日本のAmazonはPODの展開を業者に任せている。残念ながらこの業者は実質、詐欺だ。あらゆる段階において担当者にメールでむりなお願いをしないかぎりは最低限の出版ができない。おまけにその段階のすべてにおいて後出しで料金を要求される。Amazonの仕組みを外部の業者が借りる以上はある程度やむを得ないとはいえ、広告に謳われている出版の最低限を叶えるためにモンスタークレーマー扱いされるのでは使いものにならない。この業者とかかわらずには今後は日本語の本を出版できない。あらゆることに目をつむるとしても5×8インチの判型を使えないので表紙画像をあらたに用意しなければならないし、CreateSpaceなら1000円以下に抑えられた本が1600円になる。そもそも支払い手段が限定されるのでプリペイドのクレジットカードしか持たない身には利用の手立てがない。法人組織としての出版社を設立しなければ印刷版を出版するのはむずかしくなった。

日本のAmazonは顧客第一主義を標榜している。ここでいう顧客はじつは一般消費者のことではない。一方的にひとり勝ちしているように見えながら案外、業界の空気を読んでさまざまな思惑のあいだでしたたかに調整している。たとえば本気でやろうと思えば金の力で実力のある編集者や作家を囲い込んで専売で売り出すこともできるはずなのに、日本の商習慣を尊重してかあえてやらない。さしさわりのない小規模な実験をやったりやらなかったりしているだけだ。KDP Printにしてもしかり。多言語対応がむずかしいからなのか、とか、FlashベースのシステムをHTML5に書き換えるのが大変だからなのか、とか憶測したけれど、どうもそういうことではないらしい。スクリーンショットを見たかぎりではCreateSpaceのシステムを持ってきただけのようだ。PODに関してはどうも利権というか大人の事情のようなものがあるらしい。なるほど大人の世界というのはこのようにしてまわっているのだなと感じる場面を垣間見たようなことがあった。

【追記】
米国KDPから返信があった。やはり日本語では出版できなくなるとのこと。多言語対応についての貴重なご意見として今後の参考にさせていただきます、と言われて終わった。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。