妄想中年日記

連載第145回: 橋を架ける

書いた人: 杜 昌彦, タグ: ,
2018.
08.16Thu

橋を架ける

Spotifyのような聴き放題はコンテンツの価値を変えた。CDを購入するか借りるしか作品を愉しむ方法がなかった時代には作品との出逢いは貴重で一枚の価値が大きかった。さほど好みに感じられなくてもひとたび手にしたからには何度も聴きかえして好みの幅を広げようとした。音楽は音源さえあればデータ化しやすいし1947年のビバップだろうが1967年のロックだろうが現代のコンテンツと同様に愉しめる。おかげでたとえばSpotifyではミームの伝播に基づく関連づけがなされて芋づる式に消費(と呼べるほど権利者に利益は還元されないが)がひろがる。少しでも関心をもてばなんでも好きなだけ聴けるので機会の希少性が薄れ、わざわざストレージを圧迫してまで保存する必要がなくなった。そもそもストレージを使ってデータを「所有する」ことに利点がない。まして思い入れのないデータであればなおさらだ。いまではよほど気に入らないかぎりくりかえし聴くことはなくなった。一枚ごとの価値が低下したことで逆に高まったのは関連づけの重要性だ。作風の類似性や影響関係のような文脈が以前よりもさらに大きな意味をもつようになった。気に入った作品はアーティストよりも関連作品を掘り下げる。

小説はデータ化するのが音楽よりも困難であるらしい。読み放題どころか電子書籍化すらろくに進んでいない。そのため文化の継承による「読書」の文脈が機能しない。古典が読まれないといった意味ではなく、Spotifyが実現しているような好みによる関連づけが存在しないということだ。あるのは表示機会の優位性によるクリックの誘発と、それにより獲得される表示機会の倍々ゲームだけだ。企業にとって読み放題は利益になりにくいので期間限定で販促に用いられるのが関の山だ。この状況は素人による粗悪な本に有利だ。得体の知れない無名の本は無料であっても「試しにダウンロード」してストレージに保存すること自体に抵抗がある。読み放題ならその心理的な障壁は越えられる。表示されるからクリックされ、クリックされるから表示されてコンバージョンを拡大しつづけ、被言及性を高めつづけて価値のあるものと見なされる。モールにとってもそのほうが利益になるのでアルゴリズムはしかるべく調整される。読書文化による関連づけが機能せず、表示機会による優位性ばかりが肥大するそのような場では、著者名のようなブランドよりも「醜いものほどコンバージョンする」法則が重要になる。モールのアルゴリズムをハックする術に秀でていない参加者(これはまさしくオンラインのテレビゲームなのだ)は望ましくない客層によって不当な文脈で扱われる。

人格OverDriveでは自著と過去の名作との関連性を明示し、断絶された文化の橋渡しを試みている。コンテンツの充実をはかりたいところだが、さしあたり広告をいろいろ試している。モール外での表示機会ならある程度はコントロールできるからだ。Facebook広告は「いいね」が集まりやすくなった一方でコンバージョンしなくなった。ディスプレイ広告はFacebook広告よりもクリックされやすい。ただしランディングページを自サイトの商品紹介ページにするとコンバージョンしない。この傾向はFacebook広告でも同じだ。ダウンロードされる前にまず商品について知ってもらったほうがいいと考えていたけれども、素直にセオリーに従って画面遷移を減らしたほうがいいかもしれない。広告実施中は検索経由での商品紹介ページの閲覧が増える。広告をしていない時期は閲覧がなくなるので関連性があるのはまちがいない。おそらく顧客はより信頼性が高いAmazonでまずダウンロードしてから発行元や個人のサイトで商品について知ろうとするのだろう。その順序であるならばランディングページはAmazonにするのが正しいし、商品紹介ページの整備にもそれなりに意味がある。新作は本業の都合で進んでいない。来月には出版できそうだ。書名も『逆さの月』に決まった。ストレージは占有せずとも記憶に留まる本になるはずだ。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。