D.I.Y.出版日誌

連載第142回: サミズダート

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
06.26Tue

サミズダート

統合的な出版ツールをめざして旧筆名で行った試みはお気に入りの作家を見つけるポータルとしての側面を持たせようとして失敗した。断念しなければ協力者のだれかが危害を加えられていた。ウェブにおいては評価経済の格差こそが消費の駆動力だ。ときには発言する主体ではなく別のレイヤーから論評する立場もまたブランドとして機能する。そうした場では舞台と客席の非対称性、あらかじめ規定された不平等が見えにくい。物理的な高低差に護られていないので手近なブランドを毀損するテロが生じる。高低差を生み出すシステムや権威は決して襲われない。モールにせよブログサービスにせよソーシャルメディアにせよ、既存の舞台を利用してブランディングすれば危険は避けられない。必要なだけつまみ食いをしながら距離を置き、言及したりされたりすることを拒絶してスタンドアロンでの機能をめざしたほうがいい。芸を行う主体と受容者は隔絶されていなければならない。そのことは三十年近く前に筒井康隆が『朝のガスパール』で書いていた。作品はもちろん新たな舞台を創出すること自体をも芸として、客席との敷居を強く意識づけつつ、人間性は消し去らねばならない。ソーシャルではなくあくまで手段であることを明確に見せるやり方を考えねばならない。舞台と客席を取り違える者もいれば権威にもさまざまな思惑がある。システムはそれらの小物は相手にしないがこちらを助けてもくれない。

少し前からクリックイベントを計測している。ペイパーバックよりKindle版へのリンクがクリックされやすいのは価格が表示されないからだ。リンクをペイパーバック版にして価格を表示したのはサイトの見栄えのためだったが、ここまでクリック率に影響するとは思わなかった。既存作品の無料化を検討しはじめた。もともと電子書籍元年から五年間はそういうスタイルだった。このサイトで全文読めて(雑誌連載に相当)、パッケージ化されたもの(単行本)がほしい読者には無料のebookを提供。フィジカルでほしい読者にはプリントオンデマンドを最低価格で。最新作のみKindle専売で四百円ほどで売って三ヶ月後には無料にする、といった流れを考えた。全文公開の参考としてgoatの縦書きを試した。悪くないが長文を読ませるには無理がある。あるいはウェブで一度に見せられる文章量は決まっているのかもしれない。体感では四百字詰め原稿用紙で十枚だ。ウェブの横スクロールは通常の縦スクロールと混在することになり使いづらい。とりわけスマートフォンで横のスワイプはブラウザバックと操作性が干渉する。一度にまとまった文章を見せるにはどうしても綴じることが必要だ。かといってブラウザ上で動作するepubリーダはどれもしっくりこない。もっとも優れた長文ビューアはBCCKSで、さらによさそうに思えるのはAmazonのインスタントプレビューだ。前者は自由度がなく後者は日本で使えない。そうなると縦段組がマシのようにも思える。この八年間ずっとこの堂々巡りをしている。

さしあたり小説用のテンプレートを用意したい。goatで採用されているような流行の二分割は理にかなっているし見栄えがするけれどもこのサイトでは必然性がない。横書きの日記とおなじ横幅で中央に持ってきて縦文字数を固定すればいい。縦書きの段組について調べた。htmlとcssだけで実現するのは難しいことがわかった。素直にh2vRを使うほうがよさそうだ。PriPreと組み合わせればWordPressで連載してepub化までやれる。ただしあのプラグインで生成されるepubの品質は劣悪だ。目次でエラーが出る。Hagoromoのnameをidに一括変換すればいける(ただしvalidatorを通ってもkoboでは弾かれる)エラーとは異なりPriPreのは簡単に直せそうもない。epub化まで欲ばらず縦書きだけ試すべきだろう。しかしそもそもサイト上で小説を読ませる利点はどれほどのものか。基本的に書くものはすべて集約したいが小説だけは分散したほうがいいような気もする。Kindle専売で単行本化する際には消さねばならない。最初からそのつもりならgoatやFacebookページのノートで充分だ。googleのペナルティが厄介だからだ。KUをどれほど重視するかにもよる。漫画雑誌はそれだけでは赤字で、単行本でコストを回収するものだと聞いたことがある。既刊と新刊で分けるのではなく、連載を無料で見せて単行本は有料とするのもありかもしれない。

クリックイベントの計測で得られた知見がもうひとつ。金ではなくブランディングを優先するならモールに依存せずサイトの集客力を高めるほうがいい。現状は購入まで導けてはいないものの、Facebookや本の検索から訪れたユーザのクリックがちらほらと発生しはじめている。本の感想を増やすのは客筋の改善からいっても正しいと思われるし、Facebookページにいいねを募る広告も、購入に直結はせずともサイトへの流入機会をわずかながら増やしている。モールにせよブログサービスにせよソーシャルメディアにせよ、危険を避ける意味でも既存の枠組みにはなるべく依存せず、独力でやるほうが利点が多い。ストア配信サービスの条件は厳しくなる一方だし、Amazon POD代行業者は実質的には詐欺だった。出版に伴うすべての段階で「実はそれを実現するには五千円かかります」みたいな請求を後から小出しにしてくる。自前のISBNを使うために金を払わされた揚げ句に出版社名はむこうのブランドになると後から告げられた。あいだに業者を挟むと何ひとつ自由にならない。CreateSpaceもAmazonとは別会社ではあるけれど子会社なのでかなり事情が違う。やはりPODにせよ多販路にせよ業者はなるべく挟まないほうがいい。

販路にしても広げればいいというものではない。商売が傾いていた頃のAppleも場末の量販店でDOS/Vコンパチみたいな商品が売られていたりした。BWからは引き上げようかと考えている。どう見てもコミケ文化の延長にあるものとして個人出版が囲われている。まともな売場が汚染されないようにとの配慮ならわかるけれども、どうもそういうニュアンスではないようだ。やはり独自サイトを基軸にして販路を絞るほうがいい。サイト自体の読者を増やして、ライフログや既存作を愉しんでもらいつつ、成果物としての最新作に金を投じてもらう。単行本を無料にすると関連商品にはゴミが並ぶし、泥棒みたいな客が群がって作品と無関係な人格否定のレビューが書き込まれたりする。しかし無料だから必ず客筋が悪くなるということにはならない。悪化するのはモールの集客に頼るからだ。客層にそもそも偏りがある。セルフパブリッシングから映画化までされた『オデッセイ(火星の人)』にしても最初は自サイトでの無料公開だったと聞く。自サイトでの集客であれば好きなようにいじれるので、ある程度は客筋をコントロールできる。カート機能のような責任の伴う汚れ仕事だけをストアに押しつけてしまえばいい。いずれは自前で用意したいが時期尚早だ。ストアはそのためのアウトソーシングとして割り切り、そこでの客層がどれほど汚染されようが気にしない。そう考えると可能性に幅が生じる。ebookを無料配布してグッズとプリントオンデマンドを売るのもいい。無料のebookで集客して朗読やファンイベントの物販で稼ぐのもありだ。刺されるからやらないけれど。

サイトの集客力を高めるには年に一作、コンスタントに書くことと日常的に本を読んで感想を書く習慣をつけるのが先決かもしれない。習慣というか時間や力の配分だ。毎日少しずつでも必ず書く習慣を身につけなければ。コンスタントに書いていないから勘を取り戻すのに時間がかかるし、たまに書くと気持を持って行かれて鬱になる。書いている対象と適切な距離を保ち、あくまで仕事として事務的にやる態度を身につけなければ。いま書いている小説を出版したら次は『黒い渦』を絶版にして、短編をいくつか加えて短編集として出し直したい。その次はようやく新作ということになる。いま書いているものは最後まで書き上げれば最高傑作になる。既存の三作にしても商業出版にひけはとらないし、極小出版でしかあり得ない個性を有してもいる。そういう価値の存在が知られていないのでニーズがないだけだ。「ニーズがないから笑いものにされ淘汰される」というのはモールに頼り切る発想であって、既存のわかりやすいニーズがある時点で書く価値がない。いくらでも代わりがあるからだ。そもそも笑いものにされる側に立たない小説に意味はない。だれかを笑いものにし淘汰する側に立つのは小説としてきわめて恥ずかしいことだ。あえてニーズを語るのであれば可視化されないニーズにこそ応えねばならない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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