妄想中年日記

連載第139回: パターソン氏のように

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
06.05Tue

パターソン氏のように

サイト上で小説の連載からepub化までを行い、さらにASINを入力するだけでランディングページを自動生成させる。そのすべてをフロントエンドで完結させたい。BuddyPressと連携したフロントエンドのブログ投稿機能(知るかぎりプラグインが三種類ほど存在する)、ランディングページはWP User FrontendとAmazon.jsとの組み合わせ、epubとPDFの生成はPriPreで技術的には実現できる。しかしPriPreはフロントエンドで使えない。記事数が増えると編集が極端にやりづらくなるし、生成されるepubの品質も悪い。そもそもひらかれたWebとパッケージ化された本とでは見せ方が違う。結局なおさねばならないのであればHagoromoに貼りつけて編集してからepub化するほうがいい。Amazon.jsでランディングページを自動生成する方法は、アイキャッチに書影を設定するか否かによって変わる。バナー的な画像を別に用意するのなら書影もAmazon.jsで表示できる。書影をアイキャッチにするのであればAmazon.jsでやれるのは出版社名と価格、あとはせいぜいがページ数や判型くらい。紹介文も権利の関係で自動取得できないので手入力せねばならない。カート機能をつけてデータ販売をすることも考えている。個人情報やクレジット情報を預かる責任は重すぎる。しかし実際にはだれも購入しないのだから、セキュリティに悩む必要はないのかもしれない。

現状はサイトにも本にも不満しかない。いいと思えるものを何も実現できていない。何をやりたいのか。「このひとみたいになりたい」というお手本に出逢えたら、めざすところが見えやすくなるかもしれない。しかし現実には尊敬できる才能はいても、なおかつ似たようなことをやっているひとにはいまだ出逢えていない。たとえば書いたものをWordPressで公開することについて調べると、大抵のことは何年も先に破滅派さんが試みている。しかし彼らはあくまで開発者の視点で文学同人誌をやっている。それらはインターネットと親和性があるし、またインターネットにまつわる営利企業であるからにはそうでなければならない。人格OverDriveがやりたいのは文学同人誌ではない。開発者のような社会的価値のある視点も持ち合わせていない。好きな小説がたくさんある個人の視点で、あるいは「わかりやすさ」や「社会のニーズ」から疎外された個人の視点で、読んで書いて出版する手段をめざしている。WordPressの標語であるところの「出版を民主化する」というのはしっくりくる。ほんとうは「読書の民主化」ということもいいたいのだけれど、これはわからない。われわれは見せられたものしか見えないからだ。政治家やマスコミや広告代理店やgoogleやAmazonといった連中が見せたいと思ったものしか知り得ない。

もしかしたら世間にはジム・ジャームッシュの映画『パターソン』の主人公みたいな才能がごまんといるのかもしれない。パターソン氏は詩人として有名になりたいとか社会的、経済的に成功したいなどといったことは考えていない。やっているのはそういうことではない。かといって書くもの、書いたものがどうでもいいわけでもない。犬に引き裂かれたら茫然としてしまうほど大切にしている。あの映画ではもし彼の詩がインターネットに公開されたら話題になりかねないような気配があったけれども、現実のパターソン氏はそうはなるまい。インターネットでは本物の才能はまず知られない。異質でわかりにくいからだ。バズるのは「わかりやすい」言葉、政治家や大企業など力のあるひとたちにとっての「ニーズがある」言葉であって、そうでないものはどれだけわれわれのニーズがあっても、力のあるひとたちにとって無価値であったり都合が悪かったりすれば「ニーズがない」ということにされ、「笑いものにされ淘汰される」。淘汰されたものは知り得ないので、知り得ないものについては何もいうことができない。ただし、もしもパターソン氏が書いたものを出版したいと考えたら、そうする手段はあっていい。自分にとっての小説やサイト、出版レーベルはそのようなものだ。Amazonはその手段にはならない。

具体的にどうなれば満足なのか自分でもよくわからない。だれにも届かないので不満なのか。否。他者の評価とは関係がない。他人に認められるのが目的ではない。そもそもがだれに届くはずもないものを書いている。他者は異質なものを貶めるだけであり、自己肯定感を低下させる要因でしかない。プロの作家になりたいわけでもないし、たとえばYouTuberのようにストアの仕組みを利用して稼ぐコバンザメみたいな業者になりたいわけでもない。ましてやそのような社会的成功で賞賛されたいわけでもない。自分で自分をOKだと思いたいだけだ。突きつめればそのためにやっている。自分のなかだけで納得できればそれでいいのだ。人生の質というのは案外そういうことにかかわるのではないか。それはたとえばけっして客を招かない部屋の家具に凝るようなものだ。本当に自分で納得できるものを実現したい。成し遂げたものを眺めて、いい仕事をしたと満足できるものを実現したい。一方で、矛盾するようだけれど、だれかの心を揺り動かしたり勇気づけたりするためにも書いている。何も心に残らないような小説なら書く意味はない。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。