Amazon は消費者の嗜好など一顧だにせず商売上の都合ばかり押しつけてくる。 嗜好性の強い商品ほど専門店で探したほうがいい。 つまり SEO がモール以上に重要になる。 音楽については嗜好に最適化された YouTube で教わり、 Spotify のような定額聴き放題サービスで愉しむ、 といった流れが考えられるけれども、 読み放題というものが機能していない (素人のゴミしかない) 現状ではあまり参考にならない。 おそらく Amazon は 10 年以内に栄華のピークを迎える。 その後 20 年でびっくりするくらいの凋落が訪れる。 彼らが謳う 「顧客第一主義」 は搾取の口実でしかない。 顧客は見せられたものしか見えないからそれが正しいように錯覚させられる。 騙されていられるのはまださまざまなことが未成熟で牧歌的な時代だからだ。 Google だって実際にはひとびとが見るものを都合よくコントロールしている。 しかし彼らでさえ見え方を調整する設定手段を提供している。 一蓮托生であるインターネットが検閲がもとで廃れて別のものにとってかわられるまでは彼らは存続するだろう。 かたや Amazon に調整手段はない。 あってもほとんど機能しない。
顧客の嗜好が無視される場で嗜好品をどう売るか。 目下の悩みはカテゴリ指定だ。 KDP のカテゴリは amazon.com に準じた細かい分類がなされている。 amazon.co.jp のストア側では日本の実情に合わせた分類がされていて齟齬が生じる。 機会損失を避けるためサポートに依頼してカテゴリを調整してもらうのが常道だが、 素人のゴミばかり表示されていて同類に見られるリスクがある。 あるいは別の販路をいかに見出すか。 Amazon でしか買えない本は publish したとはいえない。 2010 年から 5 年間は自サイトでの無料配布を中核とした多販路を選んでいた。 黒船来航までは 「無料 電子書籍」 「無料 epub」 「インディーズ作家」、 来港後はそれらに加えて 「無料 kindle」 などで Google 検索すると上位に表示されるようにしていた。 当時はだれもそれらの単語で検索しなかった。 もしそのままつづけていたら違った景色が見えていたかもしれない。 現在は影響を受けた数々の本と自著を関連づけることで文脈を生成しようとしているが、 関連づけの施策にも読書感想にも手をかけられずにいるせいで機能していない。 サイト内の SEO に加えて打てる手としてはディスプレイ広告がある。 これまでの経験からいうと広告は売上に直結しない。 承知の上で少しでも露出を高めればと考えたが、 そうであってもやはり費用対効果が薄すぎる。
モールに対する独自ストアの優位性は顧客情報を管理できる点だとよくいわれる。 であるならばやはりメール集客をやるしかない。 海外の著者サイトでは当たり前のことだ。 ただしこの国でメール登録は楽天のせいで極端に悪い印象がある。 代替となる集客法が BuddyPress による著者と読者の交流 (政治家のパーティやアイドルの握手会に相当する) だが自分には向いていない。 『悪魔とドライヴ』 のような暴力的なロマンスの路線をしばらくつづけるつもりでいる。 『砒素と携帯、 ロックンロール』 を単行本化までの期間限定でどこかに 「連載」 するとか、 Kindle 版を 『グリーンマイル』 方式で分冊で連続刊行するとかして表示機会を増やすことも考えた。 Amazon で売るつもりなら後者が適しているけれども本を細切れにする考えが好きになれないし、 製本や装幀に手間がかかりすぎる。 いったんインデックスされた記事を消すのは SEO 的に不利なので借りた場所がいい。 note を検討した。 作品の価値ではなく世渡りの巧みさを求められる場の印象が強く、 躊躇する。
暴力によって人生が損なわれることについて書いている。 社会生活を成立させるにはその怒りを麻痺させねばならない。 両立はできない。 たちの悪い依存症のようなものだ。 そうまでして書くことになんのメリットもない。 正当に評価されないのが納得できなくなる。 ストアの特性だから仕方ないとわかっていてさえもだ。 自分が何をやりたいか、 どんな方向に進みたいか。 最終的な目的は他人の評価ではない。 書いて出版しているものの価値を自分に証明するためにやっている。 しかし適切に扱われる場、 あるいはそこへたどり着くための道が見いだせないのでは目的が果たせない。 八年もやっているのに自著にあった売り方をまだ見いだせない。 とりあえず Facebook ページで 『砒素と携帯、 ロックンロール』 の公開をつづける。