筆名を変えて印刷版をつくりなおした。 Amazon.com の著者セントラルをはじめて触った。 Amazon.co.jp は簡易版といえるほどの機能限定版だと改めて思い知った。 フルスペック版を使える見込みはなさそうだ。 インスタントプレビューにしてもブックレビューにしても KDP Print にしても、 日本で使えたらどれだけ状況が変わることか。 一方で地味に対応をはじめている部門もある。 AmazonCrossing がいつのまにか日本語表示に対応していた。 メールも日本語で届いた。 Amazon は基本的に金になる相手としか取引しない (売上だけではなく意のままに管理できることも含む)。 日本人で試している先人を探した。 いた、 と思ったら三浦しをんだった。 『舟を編む』 の翻訳のようだ。 出版社名はまちがいなく AmazonCrossing になっている。 講談社なら一枚噛んでいそうだと思って調べたら日本版の版元は光文社。 音羽グループではある。 「舟を編む 翻訳」 「三浦しをん AmazonCrossing」 のどちらで検索しても何も出ない。 Amazon が直で作家と契約したのだとしたら事件のように思える。 そんなニュースは聞いたことがない。 ビッグネームが版元をないがしろにするわけがないから (社会性がなければ成功できない)、 おそらくちゃんと話をつけてあるのだろう。 詳しい経緯を知りたい。 大手出版社の動向は自分とは関わりがないので単なる好奇心だ。
CreateSpace で作成した本は Amazon.co.jp で 「通常 1 ~ 3 か月以内に発送します」 と表示されるまでは発送されないようだ。 三月の注文分も四月の注文分もいちどに届くことがわかった。 四月の注文時からはちょうど二週間。 これまでとおなじ期間で届いた計算だ。 ぱらぱらめくって出来を確認する。 奥付に驚愕した。 著作者表示が旧筆名のままになっている。 何度も確認したはずなのに。 修正しようとしたが元ファイルが行方不明。 PDF はあるのだが Indesign のが見つからない。 やむなく PDF の該当箇所だけ入れ替えて再出稿した。 もし PDF が正しいものでなければたかが一箇所の修正がもとでかえって問題を大きくしたかもしれない。 修正版と同時に 『Pの刺激』 『KISS の法則』 の二冊も刊行した。 Amazon.co.jp の在庫はないままだが英国の業者からはすぐに買えるようになった。 高くつくが二週間で届く。 CreateSpace から直接に速達で買うのに近い。 CreateSpace 版はなぜか印刷がズレるし色味もおかしいので Amazon から買うほうがいい。
本はガツガツ売ろうとすると逆効果のようだ。 時間をかけて知ってもらうのがいい。 広告でサイトへ導いたところで一度きりの訪問で終わり、 持続的な効果は望めない。 クリックではなく Facebook ページのいいねを求めれば、 記事を投稿したときに読んでもらいやすくなる可能性はある。 機械的にいいねする層が主だから直接の効果はないけれども閲覧数は微増した。 支払いの段になって Facebook 広告でインスタでの配信をオンにすると別料金がかかることがわかった。 そんな説明はどこにも記載されていない。 ただトグルスイッチがあるだけだ。 知らずに金を突っ込みすぎた。 学習コストとしてこれくらいなら⋯⋯と眺めていた額は Facebook 分だけだった。 本が売れる期待はもとよりなかったが、 好奇心はさほど満たされなかったし、 広告によって何が変わったということもない。 見返りが少なすぎる。
現在の Amazon ではページ数の大きなものがストアで大々的に優先表示されると収益になる。 確証はないがこの優先表示のきっかけは単に機械的な売上だけを参照しているのではないような気がする。 売上はもちろんだが、 それ以外の要素で Amazon に気に入られること、 つまり世渡りの巧みさも関わっている印象がある。 少なくとも Amazon に批判的でかつ成功した著者を見たことがない。 いずれにせよ自著が Amazon で優先的に表示される可能性はない。 二年前に KU のカルーセル表示に取り上げられたことはあったが、 その際の売上やレビューなどの反応が基準に達しなかったらしく以降は選ばれない。 コントロールできないものにはなるべく関わらず、 自力でやれることに注力したい。 ディスプレイ広告を実施して 99 円で直販を含むマルチストア展開をすることを考えた。 露出による知名度向上と信頼性の獲得、 という利点はある。 配信業者を通せばブックパスの読み放題も使える。 現状では独自ストアで読み放題を実現する手段はないし、 肝心の KU からはずれることになる。 定額ストリーミング全盛のこのご時世に単品売りに移行するのか。 わざわざ管理の手間を増やし KENP を犠牲にしてまでやる価値はあるのか。 そもそも商売ではなく趣味なのだ。 「愉しむ」 という観点からどう考えるか。
とりあえず KDP セレクトの自動更新は解除したが、 販路を広げると管理が厄介になる。 更新が手間だし、 あいだに業者を挟めば商品も売り方も思うようにコントロールできなくなる。 不安要素も多い。 たとえば BW は表示される場所に難がある。 iBooks は業者を通してしか配信したことがないので直接取引するのがどんな感じかよくわからない。 ふりかえれば他販路展開にしても常時無料にしても何にしても、 ことごとく早すぎたりやりすぎたりしていた。 ジャンルを指定して常時無料で露出する、 というやりかたを真似した連中はすべてを常時無料にするのではなく、 99 円にしたり本命を 250 円にしたりしてうまくやった。 つまらない連中と近づきすぎたのも失敗の大きな要因だ。 おもしろいひとたちと関わりたくても、 つまらない人間がそこで幅をきかせていたら避けるに越したことはない。 やむを得ず筆名を変えたが弊害は山ほどある。 amazon は旧筆名でリスティング広告をやってくれていた。 どうも最初期の試験的な施策だったらしい。 あれが無駄になったし印刷版をつくりなおすのは手間だった。 ほんの一時期、 出版停止したコンテンツを削除できる機能が KDP にはあった。 おかげで旧筆名の本の多くを消せた。 英国の業者が出品している不本意な試作品が残ってしまったのが残念だ。 買い占めるしか手はないが、 棄てるためだけに買うのも癪だ。 何冊在庫があるのかもわからない。
新ドメインで再出発したときの目標は 「愉しむ」 ということだった。 悪意あるひとたちも Amazon の客層もコントロールできない。 唯一コントロールできるのは自分だ。 自分が愉しむことだけを目標とした。 サイトも出版レーベルも出版活動もそのための手段だった、 はずなのに最近ぶれてきた。 軌道を元へ修正しなければ。 自分が愉しむために何か中心的なものが欠けている。 周縁にあるものにしてもどれも中途半端だ。 平日は書けないし書いている間は一冊も読めないので、 小説が進まない上に読書感想すら更新できない。 もし仮にそれができたとしてもそれだけではだめだ。 いまやれることはなんなのか。 『黒い渦』 を出版停止にして登録読者のみに無料配布することを考えた。 そのためにはサイトを会員制にしなければならない。 ただ機能を実装するだけならさほど手間ではないが、 実際には会員制であることをふまえて UI やデザインを考えなおさねばならない。 それほどの手間と時間をかけて何が得られるのか。 そもそも他人というコントロールできない要素の上で成立する施策だ。 現実的ではない。 プライスマッチで常時無料にしてもいいが、 Amazon の意向に左右される要素は増やしたくない。 それに無料にすると悪い客がつく。 無料キャンペーンを試して改めて実感した。 どんな方法をとっても関連商品がゴミに汚染されるし、 ゴミを期待する客によって悪いレビューがつく可能性もある。 『悪魔とドライヴ』 のオーディオブックをつくることも検討した。 朗読は聞いてみれば意外に愉しめるものだけれど、 みずから進んで聞く機会はいまのところない。 自分が使わないものをつくる気にはなれない。 機材を揃える気にもなれない。 揃えたら揃えたでやれることが増えそうだが、 増えてもやれる手間と時間と体力はない。 無駄に使える金があるなら本を買うほうがいい。 読まれることより書くことを考えるべきなのと同様に。
二十年前の習作 『砒素と携帯、 ロックンロール』 を書き直している。 ただの改稿ではなく語りなおしている。 ハードボイルド文体を棄てて語りの要素を強化する訓練だ。 これまで書いたもののうちではもっとも政治的な小説だ。 近年の世間の動きを見ると、 二十年前よりだいぶ理解されやすくなったように思う。 好きにやる。 愉しめればいい。 書いた端から Facebook ページで公開することにしている。 Amazon.co.jp の偏ったニーズに適さないからといってニーズがないということにはならない。 少なくとも自分にはあるし、 自分が特殊だとは思わない。 Amazon.co.jp のニーズ、 宗教や民族や国家のニーズ、 学校や職場のニーズ、 いろいろあるだろう。 それらのどこにも属さないニーズもあって、 小説の仕事はむしろそこに関わっている。 たまたま力のある多数派についているからといってそればかりが正義ということにはならない。 異なる相手に対して価値がないと決めつけ、 笑いものにして 「淘汰」 しようとする連中とは関わりたくない。 そういう連中が生きやすい場所からは全力で遠ざかり、 愉しいと信じるものを独力で愉しむ。 書くことも出版も読書も、 それぞれの 「ひとり」 を肯定する信念に関わるものだし、 そういう力を信じられないようではやる意味がない。 金は正義かもしれないが、 それだけが正義ではない。