旧筆名は仮想人格として運用した。 認知を高めるのが目的だった。 それなりに機能したが本は読まれなかった。 セルフパブリッシングの状況を改善する活動も理解を得られなかった。 後者は展開の仕方が稚拙だったし仮想人格と相性が悪かった。 何より悪意を集めるばかりで逆 SEO のようなことになったのは始末が悪かった。 そもそも適当に習作の主人公からとった名前で愛着もなかった。 それで筆名も運用法も改めた。 旧ドメインからのリダイレクトをサイトごと削除した。 やはり八年の重みはそれなりにある。 トップページが検索に出なくなった。 検索順位は日増しに低下する。 やむをえずリダイレクトの設定を戻した。 旧ドメインは六月に契約が切れる。 解約を取り消さねばならない。 Google によればリダイレクトは最低でも一年、 できれば永久に継続すべきだそうだ。 現在のドメインは七千円弱。 旧筆名と紐付いたドメインのためにプラス二千円を払うのが業腹だがやむをえない。
経験上、 ソーシャルメディアからのリンクは評価を上げるように感じる。 Facebook ページを作成して広告を出した。 試験的に 『悪魔とドライヴ』 Kindle 版の無料キャンペーンを行い、 それに対しても広告を実施した。 40 代後半から 60 代後半までの中高年男性ばかりがクリックする。 マジョリティのために書いているのではない。 内容を理解してくれる読者は主に女性だとアーヴィングも書いている。 あの本の商品紹介文はひとに書いてもらったものを元にしていて気に入っている。 しかし書き方が恋愛推しではないので誤った客層に訴えている可能性がある。 ためしに広告対象を女性に絞ったら多少の変化が生じた。 単純に Kindle の利用者が男性に多いせいもあるかもしれない。 それもまたこの国の差別的な側面だと思う。 女性限定で広告を打つことで Facebook には出会い系か何かと思われたようだ。 世界中の見知らぬ他人を表示する 「知り合いかも」 機能にうら若き美女ばかりが表示されるようになった。 これまでは国籍性別年齢を問わず完全にランダムに表示されていた——ナイロビの男子中学生ばかり表示されたごく一時期を除けば。 ザッカーバーグのユーモア感覚は理解できない。
現在の筆名は投稿時代に使ったうちのひとつだ (そのため検索上位に過去の恥が表示される)。 本名をもじったもので匿名的な運用に適している。 bandcamp 的な支援サイトを今ならやれそうな気がする。 コピペで目的を果たせる程度の PHP の知識もついた。 前回の失敗はセキュリティの欠陥に主要因がある。 旧筆名が悪意を招いたことと twitter ログインとマルチサイトを利用したことだ。 今度やるなら人格 OverDrive の簡略版のような機能にフォーラムを追加し、 メールアドレスの登録を必須にした上で最初からだれでも利用可能にする。 ドメインやサイト名も考えてある。 しかし今そんなことをする意味があるのか。 「品質向上と販促のために作家が主体的に利用するツール」 という概念は、 海外では一般的であってもこの国ではいまだに理解されまい。 売るのに品質がいっさい関係がない (粗悪なものほどよく売れるが、 優れたものでも売れることはある) 現状では、 品質を向上させることに関心が集まるとは思えない。 そもそも主体性という概念がこの国には馴染まない。 「be myself」 ではなく 「自分探し」 の文化であり、 権威者が与えてくれるのを当然とする国なのだ。 個人が組織を規定するどころかその逆だ。 主体的であろうとすれば憎まれ蔑まれる。
交流の場ではなくツールとして提供するにしても場のような意味が生じるのは避けられまい。 不特定多数の利用者にうまく対処できるか。 好きに使ってもらうようにして整備だけに注力すればどうにかなる。 現在の筆名ならそれが可能だし、 現実的に考えればそもそも利用者などいまい。 あくまで趣味の技術習得のためにやるにすぎない。 準備を進めても差し支えないようにも思うが、 読書の価値そのものがないがしろにされる現状では何をやっても意味がない。 ストア表示における読書の文脈そのものをまず先にどうにかしなければ。 日に十人しか閲覧しないサイトで何をどれだけ働きかけてもどこにも影響を及ぼせないのはわかっている。 しかし世間は変えられなくとも自分は変われる。 本の魅力を伝える努力だけはしたい。 どれだけの他人が見ていようと見ていまいと。