むかし瓶のなかにピンセットで帆船模型を組み立てる趣味が存在した。 なんのためにそんな気の長い、 厄介な作業をするのかと問われたら当時だれも答えられなかったろう。 ふと気になって Google 検索したら廃れた趣味ではないらしい。 ソーシャルメディアで株を上げるのに使われるようだ。 例にしたいのは趣味というものが奇異な眼で見られた時代のボトルシップだ。 そのように何の役にも立たないことをやろうとしている。 しかしその喩えには 「公にする」 という要素が欠けている。
公にしなければ本は存在し得ない。 公にすることが出版だ。 そのために利点が大きければウェブサービスを使うし、 不都合が多ければ使わない。 Amazon を使えば手軽に公にできる。 しかしそれは制御できない場に自分の言葉を預けるということだ。 WordPress はほぼ完全に思い通りになる。 全責任を負える。 前に使っていたレンタルサーバは知名度の高さにもかかわらず、 運がよければ接続できる、 という低品質だったので制御できない場に預けたのと変わりなかった。 いま利用しているサーバはたまにデータベース接続エラーになる以外は良好だ。
WordPress には ebook (epub) を自由配布したり販売したりするためのテーマやプラグインが豊富にある。 独自サイトでの配布は往来に 「ご自由にお持ちください」 と晒すようなもの、 販売は値札をつけて代金を入れる籠を置いたようなものだ。 そういう意味では公にしている。 「出版を民主化する」 という WordPress の標語が意味するところの publish ではある。 しかしだれも通らない道であれば自宅の押入にしまい込んだのと変わりない。 公とはいいがたい。
文章はただの自己満足であってはならない。 公にしなければならない。 大勢がゆきかう往来を前提としない文章は卑しい自己愛と同一だ。 そういうことをやりたいのではない。 かといってソーシャルメディアのような場で小賢しく立ちまわりたいのでもない。 自分でいいと信じることをしたいだけだ。 他人のかかわる余地が増えるだけ制御が難しくなる。 自分でダウンロードするために無料キャンペーンを利用したら 「この商品をチェックした人は」 が汚染された。 やはり 「無料」 に集まる客は筋が悪い。 少なくとも今後の小説は Kindle ストアに出すつもりはない。 それだけは決めている。