妄想中年日記

連載第119回: 机のある部屋

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
03.06Tue

机のある部屋

衝動買いした机が翌日には届いた。これまではノートPC用の昇降式ガラステーブルで書いていた。見た目は気に入っていたがタイプするたびに揺れるし幅が狭すぎた。高さも段階式で自由には調節できなかった。まともな机の導入で書けるようになればいいのだけれども、そういう変化は起きないだろう。せめて肩が凝ったり腰を痛めたりしなければいい。机に肘を突けるのは気に入った。本は格段に読みやすくなった。

年休消化のため今月は休みが多い。深夜勤もなくなった。机も買った。長年望んだ環境を手に入れたのだ。書かなければ。……いや、何の価値もないものにそこまでがんばる意味はない。人生の空費を感じたくないだけだ。改稿版『悪魔とドライヴ』のKindle版を公開した。ほんとうは書名も変えたかったが装幀の関係で断念した。動作確認のために24時間だけ無料でダウンロードできるようにした。自分以外にもダウンロードするやつがいたので驚いた。ペイパーバック版をどうするかは決めかねている。単に作業が面倒だからだ。自己満足の趣味にしてはあまりにも手間がかかりすぎる。

以前は他人に読まれることでしか価値は測れないと思っていた。読まれる、という自分にそぐわないことを望んだ。そのためにむりをして苦しんだ。だれからも望まれない事実をどうしても受け入れられなかった。それから歳をとり、少しは本を読んだので、時間をおけば自分の書いたものがいいか悪いか、それなりに判断できるようになった。他人は読まないのだから自分さえ納得できればそれでいい。

若い頃お世話になった編集者に、人生経験がないからプロになれないといわれたことがある。実際に彼がいわんとしていたのは人生ではなく社会経験だった。さらに突きつめれば経験を成立させる能力だった。高い社会的能力がなければ読まれる小説は書けないし、個人事業主として生活していくこともできない。いわれるまでもなくわかってはいた。脳に生まれつきの発達障害があったし、より重度の障害を抱えた両親によって人生が制限されていた。小説にかぎらず何をやっても人並みにこなせない。結局どうすることもできず作家にはなれなかった。

障害は単に社会生活を困難にするものでしかない。それを個性といいかえるのは、有利に転化できない者を見下す詭弁でしかない。たしかにディレイニーの小説には失読症の影響がみられるというし、ナボコフの小説にはなんらかの発達障害が背後にありそうだと聞いた。彼らは天才だからそんな芸当ができたのだ。とはいえどうせ書いたものは自分しか読まない。歳をとったいま、障害とうまくつきあう上でひとつの方法にはなり得るかもしれない。

Kindle版は結局、自分以外に40人がダウンロードした。カテゴリランキングに表示されたので紛らわしかったのだろう。恨まれなければいいのだが。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。