諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第13話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2021.01.20

 モテ研究員だった丸山くんの不調は徐々に現れた。まずは、僕の家に遊びに来るときに持ってくるものが変わった。初期こそ僕と二人でコンビニへ行き、ヤケコーラやヤケチョコパイなんて食べながら泣いていた丸山くんだけれど、そのうちにチートスとかピザポテトみたいに浮かれた食べ物はいっさい持ってこなくなり、スルメとか、干し梅とかしゃぶるものになっていった。
 しゃぶるものは景気よく音を立てて人の気持ちを盛り立てたりしないかわりに、じとじとと気持ちを湿らせて愚痴をこぼさせた。それが案外悪いことじゃないと今、分かるのは、そのあとの、カラカラの丸山くんを見たからだ。
 丸山くんは、しばらく乾き物と母がいれた緑茶で愚痴をこぼしていた。
「誰だって勘違いはあるよな」
「思わせぶりって一人で成り立つわけ?」
「おばさんに言うくらいなら直接言ってくれたらよかったのに」
 だんだんその愚痴さえ勢いをなくしていった。
 職場で大人しくしているとおばさんが言う。
「加害者のあんたが被害者ヅラしてジメジメしてるってなんなの? 同情して欲しいわけ?」
 休憩室で会話に混ざろうと追従笑いをしているとおばさんが言う。
「なにヘラヘラしてんのよ。馴れ馴れしいわね」
 ミスをすると鬼の首でも取ったかのようにおばさんが言う。
「女にはしつこいのに、仕事はおざなりね」
 亜美ちゃんいまや部外者となり、おばさんと丸山くんの関係性だけが深まっていった。ヌメヌメと。
 丸山くんは最終的にはうちへ来ても何も飲まなくなって、ただずっと手にアルコールスプレーを擦り込むだけになった。
 カサツいた手の皮膚が赤黒くくすんで、笑わないし怒らない。ひび割れた関節にスプレーがしみたときだけ「あっ」と声をあげる。
 僕は、今までとは反対に、聞き役を丸山くんに譲り喋りまくった。今朝の情報番組で紹介された便利そうなボールペン(頭に修正テープが付いている)のこと、昼休みに推理小説を読んでいたら急に同僚から話しかけられて手元が狂って犯人を知ってしまった(しかも今読んでるところには出てきてない人物なんだよ、二つの意味で最低だ)こと、父が先週日曜の早朝、車検の代車で渡された黒塗りのセダンで釣りに行って、職務質問を受けた(トランクの中身を見せるように言われたけど、それって死体が入ってるとでも思われたんじゃないかな)こと、祖母が健康教室(新聞の広告に入ってきた高齢者を狙ったハイハイ教室だと祖母は得意げに語った)から怪しい布団を買わずにトイレットペーパーだけもらって帰ってきた武勇伝を聞いて心配していること。
 丸山くんは、聞きながら手をこするか、アルコールのスプレーボトルを撫でているだけだけれど、僕は慎重に話題を選んだ。
 丸山くんはこんな風だけれど聞いている。絶対に恋愛とか、ホームセンターとか、缶コーヒーのことは話さないようにしよう。そう思って緊張した。
「美容院のさあ」
 丸山くんが急に口を開いた。何日も無言で過ごしていた丸山くんだったのに、カラカラのその口を急に開いた。丸山くんの口から奥歯に詰まった豚肉みたいな強烈な匂いがして、一瞬で消えた。
「美容院の人がくれた番号もこちらからはかけない方が無難だよね」
 そして沈黙。にわかに僕の喉まで干からびてしまって、僕は強く何度も頷いた。まるでヘッドバンギング。響け、声にならないシャウト。
「女なんて信用できない」
 丸山くんが小さく笑って言った。
「そして、そう言えるほど女のこと知らないし、知る権利もない」
 それからは、僕も黙ってしまって、シュッシュッというスプレーの音だけが響いた。
 


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。
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