諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第10話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2020.11.19

 一体、人を誘うときの気軽さ、または緊張感というのは、何によって生まれるものなのだろうか? それってお互い様とも呼べるような程度に相互に影響し合うものなのだろうか?
 例えば、僕は丸山くんと一緒にテレビでも見ようと部屋を訪ねるのに躊躇しないし、丸山くんも件の「サロン予約」の事後承諾を良しとしていたように気軽に僕を誘う。
 一方で、僕が吉田さんを誘うとなれば、それ相応のリサーチ、丸山くんからの叱咤激励、その上、正座や整容などをした上でも、まだまだ実行しづらいものがある。しかし、吉田さんはその日二十二時を回っていたにもかかわらず気軽にメールでこう誘ってきた。
「この間はありがとうございました(にっこり笑った黄色い顔の絵文字)もし迷惑でなければなんですけど(しずくの飛び散る絵文字)これからみんなで飲みませんか? 今、駅前の居酒屋に来てまーす(八分音符が三つも小躍りしている絵文字)」
 枝豆とビールのジョッキとおしぼりが写った写真も添付されたそのメールは、僕には非常識な気軽さだった。しかし、非常識さで言えば、連絡の一つもなく家を訪ね合う僕と丸山くんの方が上かもしれない。非常識さとは、裏返せば親しさとも取れるのではないか?
 しかし、僕と吉田さんの関係性というのは、いつからこんなに気軽な仲になったのか? それとも彼女は普段からこうして誰にでも唐突に、時間や相手の都合なども慮らずに人を誘えるタイプの人間なのだろうか? それとも、女慣れしていない僕が意識しすぎているだけで「もし迷惑でなければなんですけど(しずくが汗か涙か不明だがとにかく三つの水滴の絵文字。さっきの音符も三つだったが、三には何か特別な意味があるのか? 毛利元就・三矢の教え、三大珍味、三大ピラミッド、団子三兄弟……)」で相手の都合への気遣いは充分足りていると考えるのが普通だろうか?
 僕はグダグダと考えながら、この一週間のうちに密かに買ってきていた夏物のジャケットを取り出して、すでに着ていたパジャマから外出着に着替えた。髪の毛に丸山くんを小馬鹿にしつつも自分も後に薬局で購入した整髪料を擦り込みながら、メールの返信をまだ送れずにいた。
 そういえば、みんなでって、誰のことだろうか? 丸山くんを連れてこいという意味だろうか? しかし、確か丸山くんは明日の朝は早番だと言っていた。今誘うのは迷惑だろうか? どういうわけだろう、僕は丸山くんにまで遠慮してしまっているではないか。
 とにかく、S.O.Sのモールス信号でも打つような心持ちで丸山くんにメールを打つ。
「吉田氏より連絡あり。駅前居酒屋への招待。先方テキストにはみんなでとの記載あり。みんなが当方の同行者を指すものか判断出来ず混乱中」
 僕はゆっくりとジャケットのボタンを留めながら深呼吸をする。携帯電話にはなんの反応もなし。少し苦しそうに見えるボタンをゆっくり外していき、三つ(また三!)全て外したが、携帯電話は反応なし。たまらず僕は電話機を繰って丸山くんの番号に電話する。
「……もしもし」
 心の友丸山くんは低く不明瞭な、なんとも眠たそうな声を出し受話器を取った。
「すまん、寝てたか。……また明日かける」
 丸山くんのふわいとかwhyとか聴こえる返事に重ねるように通話終了ボタンを押し、僕は鏡に手をつく。
 考えよう、考えるな、考えよう、考えるな……。僕は永遠とも思える三分間を過ごし、なんの答えも出せぬまま携帯電話をもう一度開き、吉田さんへメールを送った。
「なんていう店ですか? 十五分ほどでいけると思います」
 誰がいるんですか? 何時まで過ごしますか? なぜ僕を呼ぶのですか? ききたいことは山のようにあったが、とにかく、行くことにした。
 決心ー。
 僕は、近所のタクシー会社に電話した。タクシーの中で、まだ市営バスがうちの近所を走っているのを見た。タクシーで流れていたのは、どういうわけかオペラで、僕は悲鳴にも似た女性の声を聴くともなく聴き、タクシーの隣を通り過ぎる二人乗りのオートバイのカップルなんかを見るともなく見て、しかし頭のどこかでこの風景がここから後の僕の人生を切り分ける分岐点の象徴となったりしやしないだろうかと、尻のもぞもぞするような期待を抱えていた。
 吉田さんは、メールにあった蛸屋の前で携帯を眺めていて、僕はタクシーの中で運賃を支払いつつ、降りてすぐ挨拶すべきか、ある程度近づいてから声をかけるべきか、隣に立って軽く肩を叩くべきか、果たしてそんな勇気があるのかなどとグルグルと考えていた。
「あっ竹村さーん」
 しかし、タクシーを降りるとすぐに吉田さんがぴょんぴょんと可愛らしく跳ねつつこちらに手を振ってきたので僕は、よっとか、どもっとか小さく呟きながら、頭を赤べこのように揺らすハメになったのだ。


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。
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