諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第3話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2020.08.04

 僕は、十年前の三十歳くらいから、彼女が欲しいってことを口にするのはやめにしたんだ。と言うのがさ、僕が彼女が欲しいって言うと、たいていの人は待ってましたと言わんばかりに、色んなアドバイスをし始めるんだ。君もそうじゃない? 僕に言いたいことが色々こみ上げてこない? いいんだよ。隠さなくたって。もう慣れてるから。
 つまり、みんなこう思うんだよ。こいつには足りないところ、または行き過ぎたところがあるから彼女ができないに違いない。つまり、裏に隠されたメッセージはこうだ。
 彼女がいないなんて異常だね。
 このメッセージは、若い日の僕を大いに翻弄した。
 でも僕は何も意識高い系のリアリティショーみたいな恋愛がしたいわけじゃないんだ。お洒落な髪型や服装で見栄を張る気もないし、おしゃれな場所に出入りして洗練されたりする気も毛頭ないんだ。
 ありのままの僕を受け入れてくれる、素朴な彼女ができたらそれでいいんだよ。ルックスも十人並みでいい。スタイルだって人並みでいいよ。おっぱいが大きいのも小さいのもどっちも好きだし、普通くらいなら別に本当に構わない。
 遊園地とか、映画館とか普通の場所でデートして、半年くらいしたら、そう言う関係になってもいいって、そんな風に考える普通の女の子でいい。僕だって男だけれど、ラブホテルみたいにいかがわしいところじゃなくて、普通っぽい旅館かホテルに泊まって、昼は普通に水族館とか、渓谷とかに観光しに行ってさ、夜になったら大切に初めてのことを行えればいいと思ってる。その前には、ちょっと予習みたいな場所に行っておく必要はあるだろうけれど、めくるめくテクニックを求められることもないだろうし、安心していられる。そういう関係しか望んでない。
「ありのままの自分なんてダメだよ」
 十四年前、丸山くんが読んでいたPOPEYEから目を上げて、鼻息荒く言ってきた時にも、たぶん、僕はあのメッセージに翻弄されていた。きっと丸山くんも。
 滑稽な思い出は、いつもあのメッセージに操られた時に起こるんだ。
「俺ら、もう二十六歳だし変わらなきゃ」
 丸山くんの目は怖かった。今でもありありと思い出せる。
「変わるって何するの?」
 こわごわと僕はきいた。丸山くんは、意味ありげにニタリと笑ったかと思うと、バアンと言う効果音が似合いそうな勢いで読んでいたPOPEYEをこちらへ見せつけてきた。ページにはデカデカと《モテる男のスタイルはちょいワイルド》と書いてあった。
「髪を染めるんだよ! パーマかけるんだよ!」
 なんて大胆なこと言うんだろうって僕は焦ったよ。ヘアカラーも、パーマも僕には恐ろしいものだ。なんてったって、行きつけの床屋では出来ない。いや、出来るには出来るが、カッコよくなるはずがない。
「何言ってんだよ。そんなことするんなら、美容室に行かなきゃなんないんだぞ」
 僕はいかにも下らないと言った調子でPOPEYEを取り上げて閉じた。こんな柄にもないもの買ったりするから、頭がおかしくなるんだ。
 しかし、丸山くんはしつこかった。また例のページを開いて、今度は本当にバアンという音を立てて床を叩いた。
「行けばいいじゃん! 美容室くらい」
 くらいと言いつつ、丸山くんが美容室に近寄るのを恐ろしがっていることは、誰が見てもよくわかっただろう。あんなダサい髪型していたんだから。
 丸山くんと僕は小学生の頃からの腐れ縁で、ここ十年以上、近所にあるバーバー山本以外で髪を切ったことがない。それ以前は、比較的手先が器用という理由で、丸山くんのお母さんが僕の髪まで切ってくれていた。それ以前は、不器用で有名な僕の母がバリカンで凸凹の激しいいがぐり頭を作っていた。
「それに僕の職場はあんまり派手な髪型は禁止だよ」
 床に開かれたページのモデルたちは、人気歌手を後ろから脅かしたような顔のやつや、人気俳優を風邪ひかせたような顔のやつばかりで、一体自分や丸山くんの頭にこの髪型を載せたらどんなことになるのか、全く想像できなかった。
 どいつもこいつも、髭を生やしたり、ボサボサ風に髪をいじりまわしたりして、一体、鏡の前で何時間過ごしたんだって感じだ。
「ちょっとこれ見てくれよ」
 丸山くんが二本のずんぐりした指であるモデルの髪の毛を隠した。
「あ」
「だろう?」
 モデルは一気にその辺のにいちゃんになった。
「さらにだな」
丸山くんはクリアファイルをそのモデルに被せて、頭のところに黒いペンでギザギザといがぐり頭の伸びかけみたいな、冴えない、つまりは僕や丸山くんがしてる髪型を書き足した。あっという間にオシャレなヘアモデルは、垢抜けない男に成り下がった。
「そう言うわけだ」


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。紹介記事:朝日新聞長崎経済新聞西日本新聞
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