D.I.Y.出版日誌

連載第120回: パターソン

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2018.
03.12Mon

パターソン

日本でいえばさいたま市浦和区在住の市営バス運転手浦和さんといったところか千葉市の千葉さんでもいいのだけれどニュージャージーはなんとなく埼玉のイメージだトム・ウェイツにジャージー・ガールという曲があってそれがなんとなく埼玉っぽいんだよどの街も行ったことないから根拠のない勝手な空想だけど。 『ナイト・オン・ザ・プラネットがタクシーの話だったようにこちらはバスの話タクシーのほうは基本的に何も起きない話であることに当時感心したのだけれどもたとえばふつうの映画なら映画プロデューサーがスターを見出す話になるのにウィノナ・ライダーの夢は自動車整備工のままでプロデューサーは口説き落とせなかったことをむしろ愉快に感じるといった風)、 バスのほうは日常の範囲内でありながら意外に劇的というか喜劇的に感じられたくりかえしのようでいて地味にかつ過激にエスカレートしていく

パターソン宅では変な美人妻の個性が炸裂する通販のギターを注文してカントリー歌手になると宣言したりあんたの夢は白黒カップケーキで大儲けすることじゃなかったのかよそのギター気に入ったの絶対白黒だからだろというね晴れ舞台の週末には創作意欲が完全に行きすぎてモノトーン版の草間彌生みたいになる白黒であんなに派手にできるのは才能だ週末に近づくにつれ奥さんのテンションがあがり反対にパターソン氏は疲弊し衰弱していき奥さんのひと言がきっかけでやたら双子が気になりだし起きる時間が遅れてバスまで故障して近所の行きつけの酒場では失恋男の頭のねじが飛び話し相手の店主は女の子を口説き⋯⋯となんだか調子が狂ってしまいしまいには奥さんとデートに出かけて帰宅すると置いてきぼりにされた犬が腹いせにノートを粉々に引き裂いている

このノートというのがパターソン氏が大切にしているものでバスを車庫から出す前や休憩中夕食前といったちょっとした時間に彼が創造的な気分になるとルー・リードが趣味でやっていたみたいな音楽あとで調べたらジム・ジャームッシュ自身がやってるバンドの曲らしいんだけどが鳴りはじめて彼はそこに詩を書きつけるというそんな不思議なノートなのだったこの詩がけっこうよくてこれも調べたら脚本家ではなく本職の詩人が書いたものらしい朗読もまたいい感じでいままさに書いている場面の読み方とつづきを書く場面ではおなじ箇所でも読み方がちがうパターソン氏の創作意欲が伝わってくる

最大の山場であるノート喪失事件にパターソン氏がどう対処するかが個人的にとても関心があった何しろ奥さんにしつこく勧められてもいっさいコピーをとらずにいたしそもそもパソコンも携帯も持たずしたがって清書することもインターネットに公開することもない書いた詩は彼自身と奥さんしか読むことはない彼は別にそれで喰いたいわけでも有名になりたいわけでも世に問おうとかいうわけでもないのだであればせっかく書いた詩がこの世から消えてなくなったところで気にしないのではと思ったがパターソン氏はそれなりに打撃を受けてしょげかえるしかし愚痴が趣味の仕事仲間になんかあったのと訊かれても一瞬迷ってからいや別にと答えるし大事なノートだとわかっていながら引き裂いた犬に対してもおまえなんかきらいだよというきりだ温度感が低い

他人に読ませるためには書いていないけれどもどうでもいいと思っているわけでもない要するにあのノートを気に入って大切にしていたのだ自分とおなじ名前の街でバスの運転手をしながらあのノートに詩を書く時間あのノートに詩を書く生活を愛していたのだ奥さんを愛しているからといって愛の行為を公開したりはしないように大切にするとはそういうことだ書いた言葉が失われたことよりもあのノート自体が失われたことを惜しんでいるこれまでうまく言葉が見つからなかったけれどもおれもあんな感じで小説を書きたいのだとわかった暮らしの一部としてほかのだれでもない自分のために

ジャームッシュの映画にはよく変な外人が登場するのだけれどもそこへわれらの兄貴永瀬氏が変な結び方のネクタイと大きすぎるスーツで現れておかしな英語であーはー? とかいいながら変人には慣れているはずのパターソン氏でさえ思わずなんだよそれ? と噴き出しちゃうくらい新たな魔法のノートをくれる友情出演のちょい役くらいに聞いていたけれどもめちゃくちゃ重要な役じゃないですか物語において神とか天使とか何かそういう特別な位置を担う役主人公が迷ったとき道を示して立ち去るそういう人物だパターソン氏はまた彼の街で詩を書きはじめるのだろうなという予感を残して物語は終わる高野文子奥村さんのお茄子を思い出した主題も見せ方も似ている雑誌掲載時と単行本版ではまったく別物になっていて雑誌のほうを一時期は大切に持っていたのだけれどもいろいろあって棄ててしまった別に犬に引き裂かれたわけではない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。