なんの予備知識もなく読みはじめたので驚かされた。 自分を亡命中の王と信じ込んだ狂人が突っ込み不在でひたすらボケ倒す。 笑いながら読むうちにいつしか引き込まれ夢中になっていた。 本来あるべき文脈と、 そこからの乖離とを受け手が自力で見出さねばならない笑いは、 日本においては不親切とみなされあまり一般的ではない。 どちらかといえば常識人と対比させて逸脱を明示する笑いが多いような気がする。 しかしそのような 「わかりやすさ」 こそないものの、 この小説でも注意深く見れば対比は隠されている。 北国から亡命した王であるとの妄想を終盤でうっかり忘れかけるなど、 読み解くヒントは抜け目なく仕込まれている。 あまりに巧みに隠されているので見落としが生じ、 自分もまたキンボートではないかと不安にさせられる。 挙げ句に結末ではメタフィクション的に翻弄されまでする。 クリストファー・ノーラン 『メメント』 を連想した。 精緻なからくり細工というかパズルというか、 細密な部品を無駄なく組み上げた構築物のような印象は 『アーダ』 に感じたのと同じだった。 『アーダ』 は感情的なドラマを抽象的に再構築したような不思議な話だった。 こちらはサイコパスのストーキング行為を徹底的に笑いのめしている。 もちろん 『アーダ』 だって笑いの要素は強かったけれどもこちらのほうが直接的であからさまだ。 『アーダ』 の登場人物が記号のような役割に思えたのに対して 『淡い焰』 (本の現物は 「焰」 だがウェブ上の書誌情報が 「焔」 なのはなぜだろう) に描かれる人物はとても生々しく感じられる。 いままさにそこにいて呼吸しているかのようだ。 ナボコフはほかに四半世紀前に 『ロリータ』 を読んだのみで、 こんなふうに活き活きと人間を描く作家だとは知らなかった。
亡くした娘の想い出を詩人夫妻が分かち合っていると、 そこへ人間の感情を理解しない狂人が闖入してくる。 家庭をもたず詩人に性的に執着しているこの狂人に家族のつながりは理解できない。 詩を書けない自分の代わりに自己愛的な誇大妄想を詩人が作品に仕立ててくれていると思い込んでいる。 のちに殺人者を評して彼自身が詳細に述べるように人間としての情緒が完全に欠落している。 詩人とその妻が彼らだけの世界を持っているということが理解できないし、 許せないのだ。 語り手の狂人が故郷の妙薬と称して詩人におかしな薬を服ませて感謝されるくだりは、 願望による妄想なのかなんなのか代理ミュンヒハウゼン症候群のような雰囲気がある。 もしかしたら彼は自分の手で詩人を殺したのち自殺でもしたかったのかもしれない (サイコパスの心理への考察がやけに詳細だし自殺への言及でも変に熱弁をふるう)。 若い下宿人を追い出したのは下心に従わなかったからだろう。 教授の立場を利用して男子学生にプロレスごっこを仕掛け、 萎びた人参に執着するビーバーとか口が臭いなどと嫌悪されても意に介さない、 というか意味をまるで理解していない。 自分を高貴な善人と思い込んでいる。 リアルすぎる描写はノワール小説そのもので、 この手の変質者を実際に幾人も知っているので慄えずには読めなかった。
いたるところに張られた概念上のリンクが、 タップすればポップアップなり先へ飛ぶなり、 実際に機能したらと思う。 しかし実際にハイパーテキスト化するのはマークアップにも校正・校閲にも並々ならぬ労力を要するだろうとも思う。 それとも 「二冊買えよ」 という話なのだろうか、 冗談抜きで。 まえがきを読んで詩を読み、 注釈を読みはじめてからどんな構成なのか気になり、 というかほとんど不安になって、 巻末の索引をざっと読み (あからさまで興味深いヒントにはなってもネタバレにはならない工夫がされている)、 注釈と詩を行ったり来たりしながら読みすすめた。 この構成は推理小説そのものだと感じた。 おどろおどろしい導入、 殺人事件、 探偵の推理と種明かし、 エピローグが謎をさらに膨らませて再読を促す⋯⋯。 異なるのは推理小説は結末を先に覗き見たら興ざめだけれど、 この本は必ずしもそうではない、 むしろ魅力を増すこともあるという点だ。 考えてみればよい小説にはそもそもハイパーリンクが縦横に張り巡らされているものだ。 通常この本のようには明示されないだけで、 読者は隠された道筋に気づいて立ち返ったり、 再読のたびに気づかされたりする。 あれとこれが結びついていたのかと思い至り、 改めて読み直すと違った物語が立ち現れたりする。 詩の冒頭で窓ガラスに衝突して死んだ鳥が、 注釈から索引まで読み終えると新たな意味を持ってよみがえる。 鏡像と出逢って死に、 と同時にくぐり抜けて鏡像世界で生きつづける。 異なる複数の意味が併存する詩を構築するというのは常人の脳では成し遂げられないパズルだと思う。 循環するつくりの小説が好きで、 自分でもそのように意識して書いたりするくらいだ。 浅く狭いわが読書歴においてものすごく大切な小説になった。 ロスマクの 『さむけ』 を読み返したくなった。